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六義園界隈そぞろ歩き……002【淡々と古びる】

文京区千石三丁目。老舗米店『伊勢五』のある通りは江戸時代には既にあった古道だと思うけれど、不忍通りを渡ってその先、福音ルーテル教会脇を入った通称千石二丁目商店街通りもまた相当に古い。
かつて小石川七軒町と呼ばれた地域であり、『幕末御触書集成』に天保13年10月1日小石川七軒町の平三郎召使いである次郎助が忠義者として生きた褒美として幕府から銀5枚を貰ったという記録があるそうなので江戸時代から町家があったのだと思う。
偶然迷い込んで見つけて以来、思い出したように『進開屋』を訪ねて蕎麦を食べるのが好きである。商店街とはいえ人影まばらな裏通りなので、この店の前に偶然立ったら、だれでもその店構えに「えっ!」と驚くと思う。
僕は古いものが好きで、古ければ何でもいいのかと笑われたりするが“古ければ何でもいい”というのは“新しければ何でもいい”と同じくらいおかしいし、“安ければ何でもいい”が“高ければ何でもいい”と同じくらいおかしいのに似ている。
商家が古びて老朽化し、それでも残るには二つの方向に分かれるようで、古くなったこと自体を新たな価値(見世物)として利用する観光的発想、もうひとつは見世物であることを拒否して淡々と昔ながらの営みを地道に続けることである。

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『進開屋』はよそ行きでない気取らない当座の蕎麦屋である。建物や内部の調度に骨董的価値が出てきたことなど全く意に介さないかのように、家族が力を合わせて淡々と働く姿があるし、店内で目につくすべてのものが時の流れに逆らうこともなく、ただ淡々と古びている。僕はそういうタイプの古さが好きで、実用性を失った飾り物の古さは、死骸をありがたがるようで好きではない。
観光的見世物商売ではないので、店内にはガイドブック片手の騒々しい中高年客もいないし、“そばもおつゆも自家製です”と書かれているメニューはいたって質素で堅実、こけおどしの飽食風俗の穢れもない。昼時に訪れる客は、ニッカポッカースをはいた健康志向の肉体労働者たちである。

通りに立って写真を撮影していると背後に立つ老人がおり、話しかけたそうにしているので、“話しかけてもいいですよ”というスキを作ってやったら、ニコニコしながらガイドが始まった。老人の説明が正しければ、この店は昭和6年の建築であり、その後壁面の板壁を修理したものの、ほとんどが当時のままで残っており、由緒正しい出桁町家建築であるという。
街並み保全に行政が動いて観光化する街より、淡々と古びていく店があって、淡々と通う客がいる街の方が、遙かに文化の質は高いと思う。

写真上:昔の作りなので土間は広くこの日も車椅子が玄関先に見える。
写真下:ガイドをしてくれたご近所の老人お気に入りの行灯。
写真小:『進開屋』はお冷やが美味しい。だからせいろも美味しい。ふんだんに水を使う厨房に湯気が立ち込める。
2004年05月02日 日曜日
[Data:MINOLTA DiMAGE 7]
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