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【六義園自然観察……12】
極私的・夏休み親子六義園自然観察教室……4[小さい世界の大きい楽しみ]
●●●今日の寄り道→【真夏のフローズン・プランツ】


「ああ、六義園内にイビ(母の愛犬)を連れて入れたらどんなにいいだろう」
というのが母の口癖である。
そんな夢は母が柳沢吉保のご母堂様として愛犬を連れてタイムスリップするくらいの飛躍した物語展開がないと叶いそうにない夢であり、夢敗れた母は夏の早い夜明けと共に起き出しいやがる愛犬イビを連れて、六義園の周囲をぐるっと一周してくるのだという。
別に拗ねているわけではないようなのだが、散歩の途中で雑草を手折ってきては器に生けて狭い住まいの中で楽しんでいる。すぐに水揚げして葉を延ばし、中には花をつけたり、水中に根を張り出すものもあって母を喜ばせる。
瀧本ヨウさんの木削りの会に行って自己紹介の時間になり、
「幼い頃預けられていた祖父母の家は田んぼの真ん中の一軒家であり、見渡す限りの自然はあっても友達がひとりもおらず、さあ今日も一日何をして遊ぼうかと思った時、適当な場所に腰を下ろして“手が届く範囲だけが世界だ”と決めてひとり遊びをするのが好きだった」
と話したら、声を上げてウケてくれた人がいて嬉しかった。
人は恵まれすぎていると遊べずに、ある程度限定された世界の方が遊びやすいと僕は思う。
幼い頃、田んぼの畦に腰を下ろして手の届く範囲の世界を見つめていると、今まで気付かなかった物がたくさん見えてきた。小石をどけたらその穴にみるみる水がたまったり、それが小さな渦を巻いて水嵩を増したり、浮き草脇の泡がレンズになって田んぼの泥の上に明るい光点を作ったり、小さな虫が水面をツーイツイっと滑ったり、水面に落ちたアリが表面張力で見事に浮き草まで辿り着いたりする小さな劇場が次々に展開し、昼ご飯時まで同じ場所に座って何をしていたのだと祖母が心配するくらいに、小さな世界だからこそ見えてくる大きな楽しみというものを学ぶ良い経験だった。

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母が手折ってきた雑草が立ち枯れ、母の住まいの下駄箱の上に種子をこぼしていたので、手のひらに集めて捨てようかと思ったら次々に震動でこぼれてきて、わずか3本の穂からあまりに種子が採れるのに感動したので、手近にあった広告に受けて集めポケットに入れて持ち帰った。
レンズ面から1cmまで接写のできるデジカメの先端にさらに接写用の凸レンズをつけ、大きく拡大して葉書にプリントし、母に見せてなんだと思うか聞いてみた。
「お母さん、これなんだと思う」
「何か稲のようなものの実に見えるね。稲なんてこの辺では珍しいね」
「これ、お母さんが摘んできてこの部屋にあったんだよ」
「うーん、そんなものは摘んできてないよ」
「写真では大きく見えるけれど直径0.5mmで長さ1mmくらいのラグビーボール型なんだよ」
「小さいねえ、お母さんには老眼鏡をかけても見えないかもしれないね」

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雑草などと呼んでいるけれど、立派なイネ科の植物であり、和菓子に用いたりする粟(あわ)に非常に近く、南米では貴重な澱粉源として食べられていたという。戦争中は道端から雑草がすべてなくなるくらいに、食べられるものは食べ尽くしたという時代を生きた母だが、この実を食べた記憶はないという。
「ほら、これでわかったでしょう」
種明かしを終えたら、母は友人に出したいからその葉書が欲しいという。猫のようにはしゃぎ始めた母にも通称“猫じゃらし”は効果覿面である。
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【今日の教訓】スズメは大好物のようだけど、スズメのスケールだと一粒は非常に大きい。大ごちそうである。

[Data:RICOH
Caplio G4wide]
観察日:2004年7月17日
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