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2008年07月21日(月曜日)の日記
■夏の日のガリガリ君


静岡県清水大内にある曹洞宗富谷山保蟹寺に墓参りをした。
祖父重太郎は1894(明治27)年生まれで1972(昭和47)年10月3日に没している。祖父が清水大内で暮らしていた頃、里山はまだ竹だらけになって荒れ果てておらずミカン栽培が盛んであり、平地には水田に混じってナシ畑がたくさんあって、このあたりは稲作と平行して果樹栽培も盛んだった。
当時大内で作られていたナシの品種は長十郎で、かじるとガリガリと硬く、二十世紀ナシに比べたら水分は少ないけれど糖度が高くて甘く、しかも病気に強かったらしい。

長十郎の名を幼い頃すぐに覚えてしまったのは祖父の名の重太郎と何となく似ていたからだけれど、1900(明治33)年生まれで1996(平成8)年5月21日に没した祖母サトは少しぼけ気味になってから夫だった祖父の名が思い出せず、尋ねるとしばらく考えて紋次郎だと言うのがおかしかった。幼児や老人にとって長十郎や重太郎や紋次郎はよく似た名前の範疇にあるのだろう。
ナシの長十郎を発見した人は当麻辰次郎といい1826(文政9)年から1906(明治38年)にかけて生きた人で、自分の名前辰次郎の名をつけずに長十郎と命名したのが1893(明治26)年のことなので、祖父重太郎とナシの長十郎は1歳違いということになる。
どうして長十郎などという古めかしい名前を新種のナシに付けたのかと考えてまず思いつくのが、ナシの長十郎が生まれた場所も歌舞伎界の人々を表す言葉も「梨園(りえん)」なので、江戸市村座(いちむらざ)の座元だった歌舞伎役者河原崎長十郎にちなんだのではないかということなのだけれど、何のことはない、長十郎は当麻家の屋号なのだった。ちなみに河原崎長十郎の屋号は山崎屋である。

お盆近くなると大内のナシ畑も長十郎の出荷で忙しくなり、幼い頃は暇なのでよく遊びに行き、農家のご夫婦にもぎたてをむいて食べさせてもらった上に麻袋いっぱいの長十郎をもらって引きずって帰ったものだった。
二年前の夏、友人が静岡県立総合病院に入院したら、担当になった女性看護師長の実家が大内でナシ畑をされていたというので、幼い頃世話になった農家かもしれないから確かめてあげると友人は楽しそうに言っていたけれど、病気があまりに重篤だったので話はそのまま立ち消えになってしまった。彼女が一時退院の合間を縫って保蟹寺にある母の墓参りをしてくれたのもこんな暑い日だった。

今年もまた北街道沿いのナシ畑では袋掛けされたナシの実がふくらんでおり、田んぼだった場所にはコンビニエンスストアができていた。
静岡行きのしずてつジャストラインバスを大内観音前バス停で待つ間、あまりに暑いので友人たちが大好物だというアイスキャンディ『ガリガリ君』を初めて買ってみた。
ナシ味だというそれは豊水や幸水などの薫り高い新品種に似ているような気がするのだけれど、名前の通りガリガリとした歯触りが妙に長十郎に似ており、考えてみたら長十郎もガリガリ君だったんだなぁと懐かしく思い出す。

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▲今朝の「先割れくん」

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