電脳六義園通信所管理人 石原雅彦の日日抄

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三好春樹主催・生活とリハビリ研究所サイトの管理日誌です。

2007年04月20日(金曜日)の日記
■桜とカトリックと渋沢栄一

 


東京都北区飛鳥山。
静岡県清水市に生まれ両親に連れられて上京し小学生時代を過ごした昭和30年代、桜の名所として名高い公園の中心には野球場があった。
 
地域の野球チームに入っていたので、そこで試合をしたこともあるが、野球場の使用には前もって大人の代表者による申し込みが必要だったので、毎日放課後にする普段の練習は近所の空き地を探してやっていた。
 
その当時飛鳥山公園に隣接した場所は野球に格好の空き地になっており、塀を乗り越えてこっそり進入すると人っ子ひとりいない広大な空き地の真ん中に野球の試合が出来るような広場があった。王子小学校に通う子どもたちはその場所を「カトリック」と呼んでおり、授業が終わると
「カトリックに行こうぜ」
などと言って飛鳥山公園脇の人目に付かない場所から手を貸し合って塀を乗り越えたのだった。
 
国鉄の線路側に面した斜面は芝生が生えており野球に飽きるとごろごろ転がって遊んだ。かつてはハイカラに手入れをされていたであろう広大な敷地は、よく見ると建物の基礎の跡があり、おそらくカトリック教会があり、関東大震災とか、第二次大戦の空襲とか、不慮の火災とかで教会は消滅してしまい「カトリック」という名前だけが残ったのではないかと幼心に思ったものだった。
 
後にその場所には幕末から明治を生きた実業家であり晩年を社会事業のために尽くした渋沢栄一の記念館が建てられたので、第二次大戦の空襲で焼けた渋沢栄一邸「曖依村荘(あいいそんそう)」の跡だったとわかったのだが、どうして王子の子どもたちがその場所を「カトリック」と呼んでいたかはいまだに謎である。僕の記憶の中で「カトリック」と言う言葉は「桜・幕末・明治・社会事業・渋沢栄一」と根拠もないままに結び付いて離れない。
   ***

【写真】静岡県清水岡町の「カトリック清水教会」。
撮影日: 07.4.15 7:24:56 AM

静岡県清水岡町。
出身中学校への通学路でもあった記念塔通り。海から緩やかに桜ヶ丘に向かって登っていく坂道の左手に石垣を巡らせた建物があり、それは「カトリック清水教会」である。昭和10年完成の典型的カトリック教会なのだけれど、1600年代初めまで遡るとこの場所は「御浜御殿」という名の庭園付きの建物があり、それは徳川頼宣(10男)が父家康のために建てた隠居所だった。

【写真】御浜御殿由来
撮影日: 07.4.15 7:25:49 AM

1609年「御浜御殿」が建った場所に326年後の1935年「カトリック清水教会」が建ったのだけれど、徳川家のものだったこの土地がどのようにして「カトリック清水教会」のものとなったのか、その変遷を知ってみたいなぁと思うのは春に花開く教会前の「桜」と門柱の「カトリック」の文字が幼い頃忍び込んだ渋沢栄一邸跡を思い起こさせるからかも知れない。

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