電脳六義園通信所管理人 石原雅彦の日日抄

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三好春樹主催・生活とリハビリ研究所サイトの管理日誌です。

2005年09月27日 火曜日
パピリオン
●●今日の寄り道→【あんぱちや】

 

2005年愛知万博が終了した。
 
青山通り沿い、カナダ大使館前には愛知万博カナダ館のポスターが掲示されていたが、閉幕に合わせて日・米・仏三カ国表記の「結びの言葉」が追加されており、気が利いているなぁと感心しつつしみじみする。
 
カナダ館には約325万人以上の来館者があったと書かれていたが、愛知万博の総入場者数は約2,205万人である。
 
結局愛知万博には行かなかったので「2,205万分の1」にはなれなかったが、僕はそもそも万博というものに行ったことがない。
 
静岡県清水市で高校生だった1970年には大阪万博があり、その入場者数は約6,422万人だったので、身近で「6,422万分の1」になった経験者は意外と多い。
 
大阪万博に何を見に行きたかったのか思い出せないが、熱病にかかってうなされるように大阪万博に行きたかった夏があり、母にせがむと、
「夏休み中は混んでいるから9月に入った平日に店と学校を休んで見に行こう」
と言い、9月に入った平日でも連日大混雑のニュースを見て、
「万博なんてきっとつまらないからやめようよ」
と話は打ち切りになったのだった。
 
アテネオリンピック同様、生きて見ることなど出来ないと思っていた愛知万博開幕のニュースを見た母と「幻の大阪万博」の話をして笑ったのが春のことだった。その愛知万博が半年間の会期を終えて閉幕し、
「だんだんつまらなくなって、今回のはもういい、見る気がしない」
と母が呻くように言ったNHK朝の連続テレビドラマ『ファイト』も今週末で終了する。
 
   ***
 
大阪万博の頃は会場の建物のことを【パピリオン(PA・PI・RI・O・N)】と呼んでいた気がする。それがいつの間にか【パビリオン(pavilion)】と正しく言われるようになったプロセスがあったような気がし、【ワインバーガー】が【ウェインバーガー】に、【ドナルドリーガン】が【ドナルドレーガン】にいつの間にか置き換えられたのと似ている気がするがどうだろう。
 
博覧会などの展示用に一時的に設けた建物を【パビリオン(pavilion)】というのだが、【パピリオン】はパピリオ化粧品に引っ張られた言い間違いであるような気がし、『パピリオ化粧品本舗』というのはは幕末の英傑小栗上野介(おぐりこうずけのすけ)が開設した『横浜フランス語伝習所』の卒業生に創設者である伊東榮の名が出てくるほどに古くから日本人に親しまれている会社名である。【パピリオ(papilio)】というのは蝶のことだ。


写真上:カナダ大使館にて。
写真上:文京区根津の『あんぱちや』。
DATA:SONY Cyber-shot DSC-T1

東京都文京区根津。『あんぱちや』の店頭に立つと「(商店というのは【パピリオン】だなあ)」と思う。【パビリオン(pavilion)】ではなくなぜか【パピリオン】が似合う。
 
昭和三十年代の東京下町には、驚くほどの量の日用雑貨をリヤカーに積んだ『雑貨屋』が回ってきた。呼び声は、
「かなっ、かなっ、か〜なもの〜〜〜〜〜〜ざっかやでござい」
という物売り特有の哀調を帯びたもので、今も耳について離れない。
 
アゲハチョウが毎日同じコース(蝶の道という)を同じ時間帯に通過するように、定期的に『雑貨屋』は回ってきて、
「奥さん、雑貨屋が来たわよ!」
と近所のお母さんが叫ぶとあっという間に路地裏に人だかりができた。
 
『雑貨屋』はリヤカーを停めてパタパタと店開きし、雑貨屋のおやじとお母さんたちは楽しそうに世間話をした。おやじは時折要りもしないものをお母さんたちに手渡し、お母さんは手にとって眺めながら開きかけた財布の口金を「パチン」と閉めて散財を我慢していた。財布の口金が「パチン」と閉まる音もまた耳について離れない懐かしい音であり、「パチン」は「いらないわ」の代用になっていた。
 
あの懐かしい雑貨屋の屋台の浮遊感が『あんぱちや』の店頭にはあり、一次的に設けられた【パピリオン】のようなフワフワした浮遊感こそ商店の原点でありいのちであるような気がする。



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【あんぱちや】

『あんぱちや』という不思議な店名の化粧品・雑貨の店は小学生時代から懐かしい。
 
僕にとっての『あんぱちや』は豊島区『しもふり銀座』の『あんぱちや』であり、勤め帰りの母はよく『あんぱちや』で買い物をしていた。文京区根津にも『あんぱちや』があるのに驚いてネット検索してみると、『あんぱちや』は北区や板橋区にも同名の化粧品・雑貨の店があるらしい。

DATA:SONY Cyber-shot DSC-T1

『あんぱちや』の語源は何だろうと検索し、答えが見つからないのもインターネットの時代では希有なことである。
 
「不思議な名前だ…」と思っている人はネット上に何人かいるので、まず「はいっ!」と手を上げて叩き台としての仮説を立ててみる。
 
「『あんぱちや』の創設者は岐阜県安八(あんぱち)郡安八(あんぱち)町の出身者だから……というのはどうだろう?」
と、いつの日か『あんぱちや』で検索してヒットするであろう訪問者に聞いてみる。


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