写真植字を始める
写研とモリサワ

石井文字

一寸の巾

活版から受け継いだもの
製版カメラ


自動化へ

マイコン

デジタルになってみれば

自 動 化 へ

スティーブ・ウォズニアックとスティーブ・ジョブスがAppleIを商品化した頃少し遅れて日本にもマイコンブームがやってきました。マイコンはまだパソコンが生まれる前の、むき出しのボード一枚のコンピュータでした。
すぐに何かができるような物でもなく特に目的もなかったのですが、何かに押されるように秋葉原へ行って、さんざん迷った末に日立のH68/TRという8ビットのマイコンを買ってきました。仕事の合間に暇さえあればマイコンとの格闘が続き、1年がかりでなんとか納品・請求書の発行と集計をするプログラムを組み上げることができました。その頃秋葉原で見たAppleIIは印象的でした。
マイコンで作ったプログラムはFM11に移植して現在も使っています。 当初はマイコンによる写植の割り付け計算なども試みました。プログラムを作って写植の送りと比べてみると面白いことに気が付きました。写植の級数や歯数は1/4ミリです。発明者が将来のデジタル化を考えていたわけではないでしょうが、この数字は図らずも4ビットを1桁とする16進数に符合していたのです。しかし、手動機をロボット化するには根本的に無理がありました。後にワープロが普及した頃にはロボット化した手動写植機でワープロのテキストを自動印字させるものも出現しましたが、所詮はワープロの印画紙出力でしかなく、写植屋としては満足できませんでした。その頃には写植業界全体の20%がワープロにとって代わられていました。写植の自動化といえば電算写植になるのですが、当時の仕事内容は写植1に対して紙焼きなどが2、版下が3の割合だったので、取り扱う文字の数から電算にしても採算が取れる見込みはありませんでした。そんな事情から自動化への興味は専ら版下の方へ向けられました。 自動作図機は建築などの分野で使われ始めていました。印刷関連では箱を打ち抜くための抜き型を製作する型屋さんがすでにパソコンで操作する作図機を使っていました。入力するところを見ていると、大きな製図板の上を細い十字のカーソルが付いた虫メガネのような形のものであちこち触れてはボタンを押します。デジタイザという入力方法でした。どうやら、パソコンの画面上で作図するものではないようで、とても使い勝手の良い物とは思えませんでした。
マイコンを始めてから10年くらい経った頃、探し続けていたシステムは向こうからやって来ました。セールスに来たのは東京グラフィックアーツの方でした。それはアートビット101というシステムで、パソコンの画面を見ながら作図することができ、ほとんどの操作をマウスだけで行うことができました。
付属のパソコンは5"のフロッピードライブ付きのPC-98でした。プロッターの精度は1/200mmで、罫は手書きには及びませんが実用上問題ない程度の質はあり、入力や修正もそれまでに展示会などで見たものに比べて遥かに扱い易いものになっていました。操作に慣れるまで2か月ほど掛かりましたが、時を追ってその効果は予想以上に現れ始め、1年後には売上が倍増していました。
世は正にバブルの絶頂期でした。
   
 
hausen@air.linkclub.or.jp