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写真植字を始める
写研とモリサワ
石井文字
一寸の巾
活版から受け継いだもの 製版カメラ
版下
道具
自動化へ
マイコン
デジタルになってみれば
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版 下
写植機に入る印画紙は四ツまでだったのですが、写植を習い始めた頃は、なぜ、せめてB4くらいまで装填できるようにしなかったのか疑問に思っていました。B4の印画紙に組むことができればそのまま印刷に回せると考えました。
しかし、仮に大きな印画紙が装填できたとしても、その当時の機械で間違いなく組み上げるのが如何に大変なことであるかは程なく思い知らされました。
写真植字は活字を拾う文選工と組み上げる植字工の仕事を一台の機械でできるようになりましたが、それは二人分の仕事を一人でやらなければならなくなったと言い換えることもできます。また、自分の目で直に見ながら確かめること、物に直接触れながら仕事ができることが失われたとも言えます。
文字を固定しシャッターを切るとその文字は印画紙に写され、次の文字を打つ場所まで歯車を回して移動させます。文字が目的の位置に目的の大きさで正しく写されたかどうかは現像するまで見ることができません。位置が点字板に印されるだけです。文字の大きさも輪郭も全て頭の中で計算しなければならないのです。
のちに印字結果をディスプレイ上で見られるようになってレイアウトの確認はできるようになりましたが、イラストや地図などの複雑な図版までも写植機で済ませるほどには至りませんでした。写植で打った文字と手書きの図版が別工程である以上貼り込んで纏めなければならないわけで版下の作業が必要になります。
ところで、その頃の腕のある版下屋さんといえば、石版印刷の下絵に携わっていた方々でした。中でも先生と呼ばれる方の仕事は人間業とは思えないほど正確な寸法で、それはもう見事というほかはありませんでした。チャイナという紙
(?)にケガキ針で描いた下絵を紅ガラで転写して墨入れするのだそうです。版に直に描いていた時代の手法がそのまま版下に活かされていたわけです。当時の石版印刷にはまだ手書きの版も使われていてカレンダーの名入れや招待状などに利用されていました。石版とはいっても当時はすでに石ではなくジンク版でした。
因みに、石版印刷とはリソグラフ(Litho-graph)のことで、辞書によれば Litho の語源はギリシャ語で石のことだそうです。
版画の絵師が書く下絵を「版下絵」と言ったそうなので、版下の語源はかなり古いのかも知れませんが、「版下絵」が時を経て「版下」と呼ばれるようになったのか、または全然別の経緯があったのかは知りません。
印刷屋さんにとって超一流の版下は強い味方ではありましたが、コストと時間が思うようにはならないことが悩みでもありました。そこでもっと身近で、文字から図版まで一貫して版下を仕上げられるところが望まれていました。
写植ができるなら版下もということになったわけです。
幸い烏口は子供の頃から使っていたので、罫を引くことにはやがて慣れました。
ところが、版下にはまた別の技術が必要だったのです。
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