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写真植字を始める
写研とモリサワ
石井文字
一寸の巾
活版から受け継いだもの 製版カメラ
版下
道具
自動化へ
マイコン
デジタルになってみれば
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写真植字を始める
今は昔、高架線はまだ無く吉祥寺駅が地面と地続きだった頃のこと。
駅の東側には貨車が止まり、線路の南側の水道道路(井の頭街道)は駅の西側で行き止まりでした。そこから先は砂利道が続いていて、路地毎に残っていた橋の欄干が水道道路の名のとおり昔は川であったことを物語っておりました。
折しも、軽オフというB4までの小さな卓上オフセット印刷機が各社から発売され、街の小さな印刷所にも次第に普及して行きました。
小資本で購入できる軽オフの普及は従来のタイプによる清打ちや活版の清刷りに代わるものとして、写真植字の需要を一気に拡大することになって行きます。
こうして、それまでの活版やタイプ印刷には殆ど無縁だった写真植字も、急速に裾野が拡がって軽印刷の分野にも浸透するようになりました。
そんな事情がありましたから、その頃としては大枚の87万円を投資しても充分採算が取れる公算があったわけです。当時、吉祥寺付近にはまだ写植屋はありませんでしたし、写植機一台あれば七人を養っていけるとも噂されておりました。
ラーメンが80円、月給4万でも「ほう!」といわれる時代のことでした。
さて、写真植字機といえば、東の写研、西のモリサワがありますが、実物の機械を先に見たのはモリサワの方でした。小形で、ピアノタッチの操作系が軽快な音で動作していました。数日後、都内のある写植屋さんに頼んで写研の機械を見せてもらいました。SK3-RYと呼ばれるその機械は、ギアがむき出しになっていて如何にも機械と呼ぶに相応しい大きく奇妙な姿でした。
にぎやかな音を立てて文字盤を固定し、シャッターが切られ、送り爪がギアを回転させて次々に文字が印字されていく様子を見ていると、文字を打つためにどうしてこうも仰々しい装置が必要なのかと思えてきました。素人目にはどう見てもモリサワの機械の方がスマートで魅力的に見えたのです。
ところが、大きな音の機械の傍らで写研の文字見本帳を見たとたん、一瞬にして最初の印象は覆されてしまいました。騒々しい音は律儀に働いてくれる頼もしい音に変わりました。文字の品格の差は歴然としていました。あとで解ったことですが、この差はレンズの性能に因るところも大きかったのです。また、写研に比べてモリサワの機械は音の小さい分文字の固定が甘いこともあとで知りました。
写研の文字は石井文字と呼ばれていました。写真植字機の発明者である石井茂吉が生涯をかけて作った写植文字です。
写植の長所は、なんといっても膨大な活字をストックするスペースが不要な点です。文字の大きさはレンズによって変えられますから、大きさごとの字母は必要がありません。その代わり、従来の日本の活字には無かった書体ファミリーが必要になりました。このことは写植ならではの問題を孕むことにもなります。
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