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マイコン

デジタルになってみれば


マイコン

“マイクロコンピュータ”が縮まって“マイコン”となったと言われていますがそれまでは個人では手が届かなかったコンピューターがハードもソフトも手に入れることができるようになったことから、マイコンの“マイ”には“My”という愛着の意味も込められていました。

マイコンは所謂パソコンとは違ってケースも無く、MPU(Micro Processing Unit)挿された基盤一枚で、入力装置も出力装置も簡単なものでした。
購入したH68/TRは右の写真の通り極めてシンプルなセットです。電源は別に購入する必要があり、搭載メモリーはたった1キロバイトという今では考えられないほど少なく、それをカバーするため、オーディオカセットを使って小出しに編集するエディターが付属していました。メインソフトのモニターとアッセンブラーは4KBのROMに入っていました。それ以外にはすぐ使えるプログラムはなく、何をするにもプログラムを組むことから始めなければなりませんでした。アッセンブラーというのはニーモニックという覚え易く短縮された単語とアドレスなどを組み合わせてソースプログラムを作り、それを翻訳してコンピューターが解る機械語を生成するプログラムのことです。モニターとは今で言うOSのごく簡単なものと言ったところです。
ニーモニックは機械語と1対1の関係になっています。例えば、JMP(Jump)というニーモニックはプログラムの流れを分岐させる命令のひとつを表し、機械語に直すと$7Eとなります。MPUにこの命令が伝わると次の2バイトに書かれたアドレスへジャンプします。当然そこに論理的に正しく書かれたプログラムがあることが前提です。そうでなければ誤動作したり暴走することになります。 初めてプリンターを繋いでテスト印字しようとしたとき、いきなり、ケケケケケケケケケケケケケケケケ・・・・・と、あざ笑うかのように文字が打ち出され、プリンターに馬鹿にされているような気がしました。プリンターに文字を送る前に、決められた場所を読み出してから書き込まなければならないのですが、この読み出し命令を書き忘れていたのでした。読み出す動作無しにに書き込もうとしたので偶然そこにあった文字が書き換えられずにプリンターへ送られ、次に書き込む動作が次の文字が来たと見せかけます。プリンターはそうとは知らずにその場所にある文字を出し続けたのです。 何も知らずにマイコンに挑むとは向こう見ずなドンキホーテだったかも知れません。まともなプログラムが書けるようになるまで1年掛かりました。もし前もってその苦労を知っていたらとてもやる気にはならなかったと思います。

 

   
 
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