饂飩店店頭帰還的釦

 

 

熊野帰郷 2002年

 

【1】熊野大花火

 暑中お見舞い申し上げます。
 ご無沙汰していますが,お元気ですか?
 盆休みが近づいてきて,今年は姉さんの法事もあり,2年ぶりに生まれ故郷の南紀・熊野市に帰る予定なので,ちょっと調べていて,最近リニューアルされた熊野市のホームページを見つけました。一見されるのも話のタネになるかも…と思ってお知らせします。

熊野大花火の華,「海上自爆」の映像をぜひご覧ください(@_@)
熊野市のホームページ
http://www.city.kumano.mie.jp
http://www.ztv.ne.jp/web/kumanoshi-kankoukyoukai/index.htm
 美しい新鹿(あたしか)の砂浜や,絶景の鬼ガ城,獅子岩などの奇岩,神話に彩られた花の窟神社,広大な七里御浜(一見すると砂浜に見えるけど,実は碁石のような小石で形成された特異な浜で,天然記念物に指定されているとか)などの観光名所も紹介されています。

 恒例の熊野大花火は今年は8月17日(土)です。この花火大会は花火の盛んな熊野地方でも最大の呼び物で,古い歴史を誇ります。鬼ガ城の仕掛け花火と海上自爆&スターマインは,海上花火としてはおそらく日本最大でしょう。今年は久しぶりに見られそうです。ウキウキ…(^^)
 昔は,碁石の浜に寝そべって,夜を徹して延々と打ち上げられる花火を見上げながらうとうと眠り,夜明けに起きて,寝ぼけ眼をこすりながら,終夜運転の汽車で家路についたものですが,今はクライマックスの鬼ケ城の大仕掛花火が午後11時には終わるようになって,さすがにかつてのいかにも漁師町らしいアナーキーかつラジカルな気配は薄れました。
 熊野大花火だけでなく,遊木町のような小さな村でもかなり盛大な花火がありますが,村一番の高い所にある生家で見る花火は,花火のど真ん中にいるようで,炸裂する音響と降りかかる火花の迫力はもの凄く,火傷しそうなくらいです(^^;

【花火と村八分】
→余談だよ←(^^)

 余談ですが,南紀地方の海辺の町や村はどこも歴史的に花火が盛んです。亡くなった人のために遺族が,金に糸目をつけず盛大な「追善供養」の花火をする,それが葬式代わりの伝統的な風習・慣習であり,追善花火で身代をつぶした,なんてことも耳にします。海賊の末裔と花火の風習とは,なにか因縁があるのかもしれません。
 花火に金を出し惜しみするのは「恥」とされていて,金持ちはもちろん,貧しい人でもケチな人でも,精一杯の寄付をします。金持ちなのに分相応の寄付を惜しむと,ほとんど「村八分」にされ,後々まで,しつこく悪口を言われます(><;)。貧しかった我が家ではそういう悪口には縁がなかったけど,でも,両親は花火の季節には肩身が狭い思いをしたそうです。

 「村八分」なんてもう死語かと思うかもしれませんが,熊野のような辺境ではまだ人々の心の中に生きています。もっともそれは狭い閉ざされた世界の中でのいわば“関係性の阻害”という形でしか現れませんが,村の中ではそこに住む人々の血と心のつながりこそが世界のすべてですから,やはりそのかけがえのない地縁・血縁の“関係性”に隙間風が立つということになります。
 ただ,興味深いのは,「村八分」にしろ“関係性の阻害”にしろ,それは決してそのまま「コミュニメーションの隔絶」という閉鎖的な処遇だけを意味しないことです。ときには「村八分」にされた一族の孤高・孤立・自尊の生き方を許容し,ひそかに支えるかのような開放的な処遇の一面も併せ持っているのです。
 「村八分」というのは,「葬式」と「火事」という村の共同体生活の根元に関わる事柄の二分(=生活の2/10)以外は一切の付き合いをしないという,過酷極まりない封建的な私的制裁ですが,現代ではそこまで排他的ではなく,世間的な付き合いもあるし,コミュニメーションは切れていないようです。
 でも,同じような心情はやはり底流に脈々と生きていて,それが「噂」や「悪口」といった世間話,あるいはあからさまに口には出されないけど,よそ者にはわからない内輪の了解事項として人々に共有されている「付き合いの形」なのでしょう。

(PS)
 熊野市の概要を調べていてわかったのですが,以前,この「饂飩店」の「熊野古道体験」に記載した遊木町の所帯数と人口(約200所帯,500人)は不正確でした。正確には,227所帯,人口553人(平成12年国勢調査)です。
 町を見下ろす生家の庭先から見た風景の記憶をもとに,その風景の中の家を一軒一軒数えるようにして,家の数は200軒くらいか,一家に2〜3人として人口は500人くらいか…と,大体の見当をつけたのですが,現実の数字とそんなに違ってなかった,ということに驚いています。現実の風景が記憶の中の風景と何十年間も変わらないまま……ということにあらためて新鮮なショックを受けました。その変わらなさを見るのもまた楽しみです。

また熊野古道を歩いてみようか,と思うはまボーズ拝

【追伸】熊野帰郷報告

 8月15日に帰郷,早朝に東京を出発して,午後4時頃に遊木町に着くなり,町内放送で,
「8月17日の熊野大花火は台風13号の高波のため,23日に延期決定!」との知らせ。アッチャー(><;) 5年ぶりにこの花火を楽しみにしてきたのに…こんなに快晴で,台風の影響もまだなさそうなのに…壮大な海上自爆,スピードとスリルあふれるスターマイン,それに本命の鬼ガ城大仕掛け,見たかったのになぁ…

 熊野大花火は以前は,広大な七里御浜の波打ち際に,数十もの打ち上げ台や仕掛け花火の櫓を組んでいたのですが,こんな石浜でも長年の間に浸食が進んで浜が後退したため,浜辺での見物客との間に安全な距離をとれなくなり,近年は沖合いの海上に鉄製の浮きケーソンを組んで打ち上げるようになったそうです。そのため,快晴で台風による雨風の影響はまだほとんどないものの,高波とうねりのため仕掛け作りができないとのこと。「天気晴朗なれど波高し」ですな (@_@)
 また日程が翌日→翌々日と順延にならないのは,この時期,南紀の各町村で開催される花火大会の予定に合わせて,花火師たちが巡回移動していることと,熊野大花火のような大仕掛けの花火には多数の花火師の人手が必要で,急には予定変更の調整がつかない,などの事情があるようで,延期となれば1週間後というのが恒例だそうです。
 1週間も延期されると,花火を目当てに観光で来たり,子どもを連れて帰省した人たちはまず見られないわけで,そういうことへの対応は全くない!というのが,観光ずれしていないというか,無骨,頑なというか…… (^^; まぁ,追善供養から始まった花火ですから,地元の事情と都合を最優先して,よそ者の都合なんか歯牙にもかけない,そもそもそういう配慮の意識がない,というのが実情でしょうが,いっそスッキリしていいかも 。いかにも独尊・偏屈・排他的という南紀の精神風土の一面をうかがわせます。

 そういえば,子どもの頃,波打ち際までずいぶん遠くまで歩いた覚えのある七里御浜も,驚くほど狭くなっている…!と,あらためて自然環境の変化がこんな辺地にまで及んでいることに衝撃を受けました。50余年間変わらないまま,と思いこんでいた地形と風景は深く静かに変貌しつつあり,それにもまして人々の営為と心のありようも時代の波にじわじわと侵食されているのかもしれません。

 幸いなことに,15日の遊木町の花火は目の前で見ることができました。今年は初盆の追善花火もいつもの年より少なかったそうで,母に言わせると,
「なんや,今年はさびしげな花火やなぁ…」とのこと。
 昨夏から今夏までの1年間に亡くなった人が少なかったわけですから,この物言いにはなんとなく幸・不幸の綾なす心情というか,人の死はイヤだけど,花火は盛大に見たい,という老いのジレンマを感じます(^^;。

 8月16−17日の2日間,新鹿(隣り町)の砂浜へ海水浴に行き,幼少時の孤独な習わしのままに,終日ぼんやりと水平線の彼方を眺めて過ごしました。太平洋のまるで彼岸へと透き抜けていくかのような海の青・空の青に,身も心も染まる放心のひと時。過去から現在へと積み重なってきた記憶の時間のなかでも,かけがえのない過不足のない時間……。
かみさんは横で甲羅干し,ひたすら寝ていましたが…(^^;

 滞在中の3日の間に,姉さんの墓参りと,那智山・青岸渡寺(西国一番札所)への納骨の手筈などを済ませ,老いた父母の様子を実際に見ることもできたので(実はこれが最大の眼目でした),18日に帰京しました。
 それにしても東京の蒸し暑さは異常ですねぇ。

 

 

 

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