饂飩店店頭帰還的釦

 

 

バースデイ・メール

 

 

新宿ゴールデン街「●●●」のママさんから,誕生日のお祝いメールをいただいた。
よくぞ覚えていてくれたものだ,とビックリ。
もっとも彼女は,この店を始める以前から,かみさんの親しい友人でもあり,おおらかでほんわかとした雰囲気の女性なのだが,意外にも「10年日記」とかをつけていたりする(ほんとだぜ!),そんなこまめな一面があるので,それほど驚くことはないのかもしれない。
最近すっかり足が遠のいている客への客寄せメールじゃないことはたしかなので,意外さとうれしさはまた格別だった(うふふ)。

酒飲みのおじんというものは,役にも立たない雑学をひけらかしたり,聞かれもしないのになけなしの薀蓄を傾けたり,どうでもいい日常些事に妙にこだわったりする輩が多くて,とくに自己を卑下しながらも斜に構えて,せこいプライドをちらつかせるような屈折した奴はなかなか扱いにくいものだが(そりゃおまえのこと! う〜,恥じゃ恥!),このママさんはそんな酔いどれおじんどもにもやさしいので,評判がよく,人気がある。いま流行りの「癒し系」(ゲッ)の人柄なのかもしれないな。

そんなおじんどもには,自分のことを気にかけてもらいたいという甘えの感情が潜在しているから,そこを突かれるとモロ弱いわさ。まぁ,「弁慶」それも「内弁慶の泣き所」みたいなもんだ。
思いがけずこんな誕生祝いメールなんぞをもらった日にゃ,もうメロメロになる……。 50代半ばを過ぎて,誕生日なんぞ歳とるだけでちっともうれしくなくなって久しいはまボーズも,その弱点をキッチリ突かれて,メロメロになったあげく,感傷的な返信をしたためたのでおます(へへへ)。


誕生祝いメール,ありがとう。

メールでのお祝いは初めてだけど,そのうちこういうのが普通になるのかも。 で,誕生日らしく,ちょっとまじめに,来し方行く末に思いをめぐらしてみた。

時代は急速に変わりつつある,老眼のおじんにはとても追いつけないほど……。

そう思い始めたのは,3年ほど前,50ウン歳の誕生日を迎えた頃からだった。 その自覚は,一種の「時代との乖離感」を示唆する兆候であり,それは編集者という,時代の息吹きを先取りし,共感し,共振するべき職業にとっては,ちょっと厄介な代物だった。

その頃から,これまでの仕事の姿勢・方向を180度転換して,「現在から未来へ」ではなく,「現在から過去へ」と遡り,いわば時代を後取りしながら,自分のやりたいことだけをやろうという気が強くなってきた。そろそろ仕事のまとめにかかりたくなったのかもしれない(余も老けてまいりましたゆえ)。
で,何をしたかというと,これまで気にしながらも取り上げられなかったり,見過ごしたりしてきたテーマを掘り起こし,そうしたテーマを具現するような「人」と「活動」の現在形をレポートすることに専念しだしたわけだ。まぁ,落ち穂拾いのような仕事だけど,自らが過ごしてきた時代のなかにこそ,未来につながる「時代の芽」があるはずだ,という思いからだった。

いま,時代との乖離感はますます強くなり,違和感さえ感じるようになった(クソッ!)。

昔から「スピード」だけは苦手だった。
しかし,時代の価値観はいまや「スピード」である。物事すべてがあわただしく,めまぐるしいスピードで動いている。
最近は,たまにテレビを見ても,「あほタレ(ント)」や「ばかタレ(ント)」どもが,やたらと早口で,意味のないダジャレを連発するばかりで,聞き取れない(トホホ)。町を歩いても,人ごみのなかで急に立ち止まったり横切ったりする奴がいて,ぶつかったり,ぶつかられたりすることが多くなった(どついたろか。アッ,そうか,おれの反応が遅いだけか)。

誰もが,なんとかして他人より少しでも早く発想し,少しでも素早く行動することで,一時的にでも他人より有利になり,出し抜くことができる,と思い込んでいるかのようだ。世の中全体が強迫的な競争にとり憑かれて,狂躁状態に陥っているような気がする(水ぶっかけたろか,ククク)。

オレもそうしなけりゃならんのかいな……と,ときに焦ることもあるけど, いまさらどうしようもないぜ,無理をせず,遊びながら,楽しみながら,マイペースで行こう…,
などと自分に言い聞かせるところは,相変わらず頑固なんだ。
なに,それが,というより,それだけがオイラの取り柄だい(ホ〜ラ,居直った,遅れおじんが!)

そんなに急ぐな!
世の中に急ぐべきことなどはなにもない。

そんなに急に変わるな!
人間の営為で性急に変わるべきものなどはなにもない。

2001年1月某日 50ウン歳の誕生日に (はまボーズ 拝)

(つづく)

 

 

 

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