電脳六義園通信所管理人 石原雅彦の日日抄

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三好春樹主催・生活とリハビリ研究所サイトの管理日誌です。

【今月の栞】
子どもの頃は、梅雨の晴れ間に覗く日ざしが真夏のそれを思わせるころになると、外出時には帽子をかぶるようにと口うるさく言われた。母は「帽子をかぶらないとニホンノーエンになっちゃうよ!」と口癖のように言い、ある程度の歳になると、おかしいな、帽子をかぶらないとなるのはニッシャビョウでありニホンノーエンは蚊に刺されるとなるんじゃないかなぁ、と不思議に思ったものだった。四十数年振りに母に問いただすと「確かにニホンノーエンと言ってた」と笑うし、友人に聞くと、「確かに帽子をかぶらないとニホンノーエンになる」と言われたことがあるという。当時の母親は、ニホンノーエンもニッシャビョウもどうでもよくて、ただ夏の炎天下では、子どもに帽子をかぶらせたかっただけだったのだろう。(写真は清水駅前銀座『帽子の店 マルハナ』にて)

2004年07月28日 水曜日
六義園界隈そぞろ歩き……20【啄木と富士】
●●今日の寄り道→ 【頭痛】

大学生として過ごした4年間、駒込駅から歩ける場所に下宿していたけれど、春日通り茗荷谷駅前にあった学校まで歩くことはほとんどなかった。
 
それでも時折JR大塚駅で山手線を下車して歩くことがあり、それはおそらく画材や作品を抱えて、池袋駅から通勤通学ラッシュの地下鉄丸ノ内線に乗るのが嫌だったからかもしれない。
 
早朝の春日通りを歩いていたら西の方角に見事に富士山が見える場所があり、その姿を見ただけで日本列島の姿が躍動的に想起され、ああ、島国の片隅で生きているんだなぁと実感して身の引き締まる思いがしたものだった。
 
自転車で本郷3丁目まで仕事で外出した帰りに、裏道を辿って帰途についたら『旅館大栄館』の前に偶然出て嬉しくなる。
 
この場所はかつて『蓋平館(がいへいかん)別荘』という下宿兼旅館があり、宿料滞納が原因で赤心館を出ざるをえなかった石川啄木が金田一京助の好誼に甘える形で移り住んだ場所なのである。
 
『旅館大栄館』玄関脇には金田一京助の筆になる歌碑がある。
 
東海の小島の磯の白砂に
我泣きぬれて蟹とたわむる
 
啄木は『蓋平館別荘』で暮らした9か月間の中でこの歌を詠んだ。歌碑の金田一京助の書は「蟹とたわむる」の部分が小さくていいなぁと思う。

onMouseOver

初めて母から啄木歌集を買い与えられた小学生時代、「東海の小島」が日本国を指すとはまだ知らなかったが、それでも「東海」と聞けば郷里静岡県清水を含む太平洋ベルト地帯が思い浮かび、「東海“の”小島“の”磯“の”白砂に」と“の”“の”“の”とたたみかける部分が躍動的であり、まるで飛行機から俯瞰したようであり、今で言ったら啄木が毛利さんに代わってスペースシャトルに乗り込んだようであり、イームズの映画で地上から宇宙空間にズームアウトした視点が、再び宇宙空間から地上へぐいぐいズームインするような鮮やかな画面変換を思わせて凄いなぁと思い、「我泣きぬれて蟹とたわむる」部分などは僕にとってどうでも良かったのである。
 
どうしてあんなに“の”“の”“の”とたたみかけて躍動的な、啄木としては異質な表現ができたのだろうと不思議だったのだが、『旧・蓋平館別荘』脇の『新坂』と呼ばれる急な坂を自転車で下りながら、なるほどなぁと思った。
 
『蓋平館別荘』は本郷台地の端にあり、その三階の三畳間に通されると啄木は「富士が見える、富士が見える」と喜び、日記に「眼下一望の甍の谷を隔てて、杳かに小石川 の高台に相対してゐる。晴れた日には富士山が真向に見える」と書いたという。
 
啄木もまた、富士の姿を見ただけで日本列島の姿が躍動的に想起され、ああ、島国の片隅で生きているんだなぁと実感して身の引き締まる思いをしたのかもしれない。

旅館大栄館(旧蓋平館別荘)  文京区本郷6-10-12

写真小上:『旅館大栄館』正面玄関。
写真大上:金田一京助の筆になる歌碑。
写真大下:『旧・蓋平館別荘』脇の『新坂』。かつて二葉亭四迷、尾崎紅葉、徳田秋声なども散歩したらしい。
写真小下:歌碑の下に作り物のカニがいるのは余分な気がする。カニは譬えなのだと思うから。
[Data:KONIKA MINOLTA DiMAGE Xg]



【頭痛】
旅館大栄館(旧蓋平館別荘)脇の新坂を下り白山通りに出たあたりに、樋口一葉終焉の地がある。

その場所を示す碑がみつからず、このあたりで暮らしていたはずだよなぁと見回す時、一葉がひどく嫌っていた騒がしさだけは今も健在である。

2004年 7月 28日 水曜日 9:17:08 AM
[Data:KONIKA MINOLTA DiMAGE Xg]

     


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