電脳六義園通信所管理人 石原雅彦の日日抄

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三好春樹主催・生活とリハビリ研究所サイトの管理日誌です。

【今月の栞】6月に入ると染井吉野や大島桜の実が熟し始める。染井吉野の実は固くてあまり美味しくないけれど、食べようと思えば食べられる。桜の木になる実はすべてサクランボだと思っていたが、これらはサクランボではないらしい。/6月19日は太宰治を偲ぶ桜桃忌。玉川上水で入水自殺をしたのは6月13日だが、遺体が発見された19日が太宰治39歳の誕生日だったからだ。大学生1年生になった6月、念願の桜桃忌に行ってみたのだけれど、墓石に彫られた文字にサクランボを突っ込むなどという、太宰も顔を背けそうな所業をする輩に嫌気がさして早々に退散し、それ以来三鷹禅林寺には行っていない。/死をともにした山崎富栄は1919(大正7)年本郷区東竹町(文京区本郷1丁目あたりか)生まれ。享年30歳の若さだった。

2003年06月15日 日曜日

【富士の里】

子どもの頃は銀行が好きだった。
 
若い頃の母は少額の預金をこつこつと積み立てるのが好きで、しばしば銀行に行く母について行ったものだ。母が小銭を預金するごとにウォルト・ディズニーのキャラクター貯金箱が貰えるのが楽しみで、小学生時代は1円玉を詰め込み、棚にずらりと並べて喜んでいたものである。子どもがついて行かないと貯金箱は貰えなかったようで、銀行側にとって将来の預金者獲得への布石だったのだろう。そんなわけで少年時代は、まんまと三菱銀行が好きになっていた。
 
社会人になると給与は銀行振り込みになり、会社が指定する金融機関との付き合いが始まり、それは第一勧業銀行だったり協和銀行だったりした。女性というのは貧しいながらも小銭をコツコツと貯め込む習性があるようで、それは夫の給与振込先とは別の最寄り銀行であることが多く、我が家にも妻が三鷹駅前で作ってきた富士銀行の預金通帳があった。
 
静岡県に生まれ、毎日富士山を眺めて暮らしたせいか、青空に緑のすそ野を広げてそびえ立つ白い富士山をモチーフにした富士銀行のデザインが好きで、大した残高のない富士銀行の預金通帳を箪笥の引き出しで見るたびに、幼い日の母の預金通帳が思い出されて甘酸っぱいものがあった。

新宿区東中野5丁目。神田川にかかる大東橋を渡った先に、懐かしい富士銀行の看板(?)を見つけて嬉しくなった。合併によって「みずほ銀行」になってしまい、街から富士銀行の看板が消え、我が家から青春時代を惜しまれつつ通帳とカードが消えて久しいが、やはり富士山はいいなあとしみじみと思う。
 
「飲んで唄って富士の里」
「おだっくいだなぁ(静岡弁でお調子者)」と呆れ、経営者はひょっとして静岡県人なのかしら、などと更に懐かしくなったりする。何年か前なら、友人の写真家川上哲也氏に言えば、「行こう行こう飲みに行こう」と言うに決まっているし、「私が行って下見をしてきましょう」などと言い出しかねないのだが、こちらは家庭の事情が許さないし、川上氏も最近は節制を心がけて自宅で晩酌をしているらしく、もう少し若い頃ならみんなで入ってみたのになぁ、と悔しかったりする。
 
「飲んで唄ってみずほの里」だったら入る気などしないと思うと、やっぱり富士は日本一だなぁと、看板を拝ませていただくだけでもありがたい。

[Data:MINOLTA DiMAGE F100]


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