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2003年 2月 1日 土曜日
【坂道を上る】
インターネット高速接続ができるか否かが、豊かさの象徴であるはずはない。ADSLはおろかISDNさえ引けない田舎暮らしを嘆く人も有れば、そういう田舎暮らしを求めて都会から移り住む人もいるのだ。
【東京のチベット】と呼ばれる文京区内にあるマンションで暮らしていると、百数十世帯の住民にアンケートを採っても、ブロードバンド・マンション化を希望する世帯が一割程度しかいなかったりする。このままでは、通信回線の都合でインターネット高速接続不能のマンションになってしまうので、管理組合で検討し【東京のチベット】住まいを希望する人にも負担のかからない、【VDSL】をマンションに引き込むことにした。
【VDSL】というのはマンションの入り口まで光ファイパーを引き込み、そこから各家庭へは通常の電話回線を用いる通信技術である。ベストエフォートで上り/下り15Mbpsのスピードが出るという。組合の理事を引き受けて推進役に回ったため申し込まない訳にはいかなかったのだが、今後、義父母の住まいでの看護・介護が続くことを考えて、義父母の住まいからもインターネット高速接続可能にしておくことにした。
深夜に目覚め、今日から2月なんだなと思ったとたん、今朝から【VDSL】接続が可能になることを思い出し、自宅から iBook
を持ち込み、機器の設置を済ませてしまうことにした。
設置といっても小さな箱形モデムに電話線、電源、Ethernetケーブルを繋ぐだけなので数分で終わってしまう。モデムに繋いだEthernetケーブルの片方を
iBook に繋いで起動し、【システム環境設定】/【ネットワーク】から【内蔵Ethernet】を選ぶとデフォルトのままでDHCPサーバーを参照してIPアドレスが割り振られる。
たったそれだけで設定は終わりというあっけなさ。後はインターネットブラウザを立ち上げて接続確認をするだけなのだが、一服していてふと見ると、なんとOS
X の【ライブアップデート】ウインドウが開かれているのに気付いた。
「(てことはもう繋がってるの?)」
と思ったが試しに【インストール】ボタンを押すとあっという間にダウンロードが終わり、インストールと最適化が始まってしまった。
ダウンロードよりローカルでの作業に時間が掛かるのでダイアログを見ると、転送したデータは70MBもあるのに改めて驚く。PowerBook170に外付けモデムを繋ぎ、「ピーーーーガラガラーービーンビン」という音を聞き、ニフティサーブ会議室のログを読み込んでいた当時を思い出す。お金ができて新しいモデムに買い換えるたびに、巡回ソフトの画面を流れる文字列が高速化し、やがて見えないほどになるのを喜んだものだった。現在のブロードバンドでそれをやったら、画面は真っ白で文字など見えないに違いない。
書き込みに長い引用をすると顰蹙を買い、1MBを超えるデータのダウンロードに尻込みし、夜中にパソコンをつけっぱなしにして10MBのデータをダウンロードしたなどと言うと、英雄視された時代だった。
あっという間に70MBのデータをダウンロードできる【高速化】を素直には喜べない。
坂道を上る自動車に強力なエンジンをつけたが、その分、重い荷物を積載するのに似ている。今とさほど違いのないソフトウェアが、当時は今の数十分の一という大きさであり、プログラマは小さなサイズで高機能なソフト開発に、しのぎを削っていた時代があったのだ。
OS 自体が一枚のフロッピーディスクに収まっていた時代から10年も経っていないにソフトウエアは肥満し、高速化で本当に恩恵を受けている者は、今頃ネットの向こう側で寝ているような気がする。

2003年 2月 2日 日曜日
【さざんか】
さざんか、さざんか、咲いたみち、
たきびだ、たきびだ、
おちばたき
「あたろうか。」
「あたろうよ。」
しもやけ、おててが
もう、かゆい。
義母が二週間の一時退院の機会を得て自宅に戻るので、夕食の買い物に近所の商店街へ。
裏通り角の曲がり道、山茶花が盛大に花びらを散らしていた。僕は山茶花の散りざまが好きで、なぜか人の喀血を思い出す。
銀座通りに出る階段で、人が吐いたと思われる真っ赤な鮮血を見たことがある。階段を上る途中、突然喀血し、慌てて走り去ったのだと思う。どんな人が、どんな病いで喀血し、どんな思いで自分の吐いた血を見たのかと思うと胸が痛んだ。
少女時代結核を患った母は毎日のように喀血し、なんとか血を吐かないよう仰向けに寝て、氷で冷やしながらその胸の上で祈るようにレース編みをしたという。そんな母が、僕が子どもの頃良く口ずさんでいた歌に、山茶花が出てきた。思い出の中の花色は何故か赤い。
日本固有のこの花、何故か椿の中国語名【山茶花】と書き「さんさか」ではなく「さざんか」と読み、英名は Sasanque camellia。赤花の花言葉は「謙虚」なのだけれど、散り敷く山茶花の赤い花びらは、人目を避けて路地裏でこっそりと吐いた血のように見えてならないのだ。
こがらし、こがらし、
さむいみち。
たきびだ、たきびだ、
おちばたき。
「あたろうか」
「あたろうよ」
そうだんしながら
あるいてく。
曲名は『たきび』。昭和16年12月『NHK子供テキスト』より転載した歌詞の作詞者は巽聖歌。
この歌が初めてラジオ放送された12月9日の3日後、真珠湾攻撃の決行で日本は大戦に突入し、【たきび】は資源の無駄遣いだという理由で放送を打ち切られたという。揺らめく日の丸もまた痛いくらいに赤い。

2003年 2月 3日 月曜日
【男の衝動買い】
携帯電話ストラップにキーホルダーや靴べらをぶら下げて笑い物になっている某出版社社長に会い、ストレス解消のための【男の衝動買い】について話し込んだ。
彼はストレスが高じると無性にカバンが欲しくなって衝動買いするのだという。この日も持っていた珍なる仕掛けのあるバッグの説明をし、またしても女性編集者の笑い物になっていたが、本人はいたって真面目に何処に惚れたかを蕩々と語っているのが可笑しい。そうでなければ彼のストレス解消にならないのだ。
子どもの頃、僕の悩みといえばせいぜい「どうして成績が下がったのかをよく考えて、もっと勉強しろ」と親や教師から口うるさく言われることくらいだったので、ストレス解消は親に金をせびって文房具や学習参考書の衝動買いをする程度だった。
成人すると文房具などでは満足できず、かなり奇妙な物でないとストレス解消に役立たなくなってきた。そうやって買い込んだ珍なる物が、仕事場の引き出しにたくさん入っていて、時々取り出していじってみると、やはり若干のストレス解消になるから不思議だ。
onMouseOver
写真は15年ほど前に衝動買いした【Self-timer】。
【Haka】という会社の物でドイツ製。カメラのシャッターボタンにあるレリーズ穴に取り付ける物はよく見かけるのだが、これはグイッとゼンマイを巻き上げると長いカニの爪のような物が20mmほど出てくる。実はシャッターを遠隔操作するための【ケーブルレリーズ】を、更に遠く離れて親指に代わって自動で押すための道具なのである。専用のアルミ・ケースも手が込んでいて可愛らしく、がらくたのワゴンから掘り出したら手放し難くなくなってしまったのだ。
クロームメッキが美しい堅牢な作りで、今でもちゃんと作動する。
耳をあてて作動音を聞くと、職人の手作業が目に浮かぶようだ。手にとっていじっているうちに、当時のことがありありと思い出されてきた。当時、このSelf-timerを買っていじっていたら、きっとこの20mmのストロークにピッタリ合うドイツ製【ケーブルレリーズ】が有るはずだと、日が暮れるまで必死になって中古カメラ屋を探し回ったのだった。
お金と時間の大いなる無駄をして、使いもしない【Self-timer】と【ケーブルレリーズ】を買ったのだが、15年経った今でもいじるたびに心安らぎ、いくつになっても馬鹿な買い物をしたと思えないのが、懲りない【男の衝動買い】の不思議さなのかもしれない。

2003年 2月 4日 火曜日
【電子辞書】
友人たちの中に【電子辞書】を持ち歩く人たちが急増している。
どちらかというと「電子」と名の付くものを持ち歩く者を冷笑していた人たちなのが可笑しいし、「もの凄く便利だ」という自慢話を聞きながら、【大衆化】というのは10年くらい遅れて到来するものなのかなと感慨深い。
義父が【電子辞書】を欲しがったのは10年くらい前だ。
「辞書なら紙のがある」
と冷淡で迷妄な(^^)妻と娘の壁に夢を阻まれていたのだが、富山を引き払って上京し、都会人の仲間入りをしたお祝いに、優しくて賢い(^^)息子がプレゼントしたのである。義父もまた賢い人なので、ただ電子辞書を引くだけでは満足できなくなって、やがて専用の小型プリンターを欲しがりだし、気になる部分をプリントアウトして、自分の情報ベースを作りたいと言い始めた。
またしても冷淡で迷妄な妻と娘は
「紙の辞書をコピーして切り張りすればいいでしょう」
と哀れな義父に言い、それが手に入らないうちに義父の【電子辞書】は壊れてしまった。修理代が新品が買えるほどの値段になっていたので、最新型に買い換えさせたのだが、直後に病状が悪化してしまい、今は【電子辞書】を引くどころではない。
修理不能の旧型を捨ててもいいかと、プレゼントした優しくて賢い息子に聞くので、「いいよ、僕が捨ててあげる」と言い、もったいないので付属していたCD-ROMの事典ソフトだけをとっておいた。【電子ブック/EPWING】という形式で、辞書を検索するソフトさえあればどんなコンピュータでも使えるからである。
携帯情報端末【PDA(Personal Digital Assistant)】という言葉を定義したのは AppleComputer
である。Palm OS とか WindowsCE 系統の小さなコンピュータがそれだ。
【PDA】に内蔵してこそ【電子辞書】は生かされると言っても、賛同してくれるのは最近【電子辞書】を持ち歩き始めた友人たちではなくて、【電子辞書】を使えなくなった義父の方かもしれない。意味を調べ、切り抜いて整理し、情報を再構築し、文章を書き足したりして再利用できるからこそ【電子辞書】は便利なのであり、そういう機能を持たない【電子辞書】を携帯情報端末【PDA】とは言わないのである。義父が本当に欲しかったのは【PDA】だったのかもしれない。
愛用する Palm と WindowsCE の【PDA】で義父の【電子ブック/EPWING】が使えないかと調べていたら、検索ソフトを開発して公開されている方を発見した。早速インストールして使用しているけれど、義父が見たらどう思うかしらと感慨深い。
義父は生きる時代が10年ほど早すぎたのだ。
Palm OS と WindowsCE 用の【電子辞書】ブラウザ
Welcome
to Buckingham Software's Homepage

2003年 2月 5日 水曜日
【こんな時に限って】
何だかめったやたらに忙しい。
一昨年の二月もこんな調子だった。毎日、片づけた仕事の数だけ次の新しい仕事が入ってきて、しかもこんな時に限って、どれも急ぎの仕事なのである。
こんな時に限って、めったやたらに物が見つからない。
今手に持っていたはずの物を、何かの拍子にひょいっとどこかに置いたのだが、それがどうしても見つからない。それは急ぎの仕事のファックスだったり、封を切り立てのタバコだったり、お気に入りのボールペンだったりする。
看護・介護で忙しい妻が、
「あ〜〜っ、もうこんな時に限って鍵がないんだから〜っ!」
とヒステリックに叫ぶ声を聞くのもしばしばである。
【こんな時に限って】はどんな時かというと、自分は忙しい、大変である、疲れている、頭が爆発しそうだ、と感じることの要因を他人のせいにしたい時なのである。だが他人のせいにするのは良くないので、ファックスやタバコやボールペンのせいにしたいのである。
「こんな時に限って、あれが無いんだよなあ」
と思って探すと本当に無いことが多い。最も持ち主の足を引っ張る凶悪犯は【鍵】と【財布】の二人組であり、急ぎの外出時には決まってどこかに隠れたりする。
深夜に起きて眠い目をこすりながら、
「ああ時間がない。これで急ぎの仕事の資料が見あたらなかったら地獄だよなあ」
などと思う時に本当に見つからない【急ぎの仕事の資料】は、多分自分で【見つからない】ようにしているのであり、それは一種の逃避願望かもしれない。
『マーフィーの法則』だったか、【捜し物は最初に探した場所にある】という名言があるが、
「こんな場所にあるはずないもんなぁ」
という言葉は、僕も妻も良く口にする。そう決めつけて自分で失せ物を作り出しているのである。
毎日書くと決めた日記だけでも続けようと昨日撮影しておいた画像が、カメラごと見つからず、
「こんな時に限って、も〜〜っ!」
と迫り来る夜明けと仕事の締め切りに追い立てられながら、今朝も日記を書く。
※写真はルーブル美術館で撮影したBotticelli(部分)。

2003年 2月 6日 木曜日
【年号野郎】
2月5日は義父の誕生日だった。
親の世代の人々は明治・大正・昭和、三つの時代に通暁していて、年号で互いの年齢や出来事を話し合うのが得意である。義父は大正10年生まれだと聞けば、郷里の母はすぐに年齢がわかるようだ。
「お父さん、何歳になったの?」
と義父に聞くと首を傾げているので、
「西暦何年生まれ?」
と聞いてみるが、義父の世代の人は元号を知っていれば事足りたのか、西暦で即答することができない。【行く行くベルサイユ】と語呂合わせで覚えた【ベルサイユ条約】なども【大正8年】などと記憶していたのかもしれない。
昭和生まれの僕は、両親とも昭和生まれなので、明治・大正西暦変換にとても弱く、一覧表やパソコンソフトに頼らないと困る。
Macintosh OS9.x 0を使用していた時代は【年号野郎】というソフトを愛用していた。年号を野郎と言い放つ痛快なネーミングが受けてか、ダウンロードランキング常連の人気ソフトだった。現時点で
OS X には対応しておらず、OS X 用【年号野郎】の代わりになる野郎はいないかと探してみたのだが同様のソフトが見つからない。
ふと、インターネットなら Java でも使えばできるんじゃないかと検索してみたら、案の定国立情報学研究所に【年号/西暦変換野郎】を発見した。年号・西暦変換が相互にできるのが便利で嬉しいし、江戸時代なら年号+干支西暦変換もできるのだ。
早速ブックマークに登録したついでに【郵便番号野郎】と【伝票番号野郎】も登録しておいた。
※写真は街で見かけた算盤。五つ玉なら得意だが【七つ玉野郎】は使い方が全然わからない。どうやって使うのだろう?

2003年 2月 7日 金曜日
【おそ末くん】
赤塚不二雄作『おそ松くん』の主人公は六つ子だった。
おそ松の他に、一松、カラ松、チョロ松、トド松、十四松で六つ子である。
1日5冊入稿、同時に1日5冊新刊のPresentation等という激忙の日々が続く。
黙々と机に向かって仕事をしているだけならまだしも、1日5冊入稿すれば1日5冊の打ち合わせがあり、当然ながら1日5冊の色校正が毎日あるのである。
「いいですねぇ、商売繁盛。儲かって仕方がないでしょう」
等という人がいるが、それは違う。単に仕事のピークが集中しているだけなのだ。緩やかな大河の流れが突如瀑布となって流れ落ちるような現象である。
ちょっと前までは、仕事の粗密はなだらかに均一で、激忙の日々などというものは滅多に無く、著者の講演会に随行して全国を旅することさえ容易にできたのだ。バブル経済の末期、そして世紀末を経て、何故か仕事が一時期に集中して押し寄せるようになったのである。
理由は簡単。
おそ末くんには、週末、月末、年末、期末、年度末という同い年の兄弟がいて、銀行が不良債権処理に大慌てするように、終末を目前にして断末魔を上げながら走り回るのである。出版社のみならず、経済活動をする人間がことごとく様々な事情で、「末」に追われて走り回っているのが今の世の中なのだ。
シェ〜〜ッ!

2003年 2月 8日 土曜日
【三欲と我慢】
人間の三欲というと「凡夫之三欲即飲食欲睡眠欲淫欲」ということで、貝原益軒『養生訓』にも三欲を【我慢せよ】と書いてあるらしい。益軒が『養生訓』を書いたのは83歳の時だったというから、当時としては驚くほど長生きだ。
三欲を慎んだおかげかどうか知らないが、義父も今年数えで83歳になった。
年老いた三人の親を観察していると、【睡眠欲】【淫欲】はさておき、【飲食欲】は年をとるにつれて益々旺盛になっているような気がする。だが、帰省して郷里清水市の母と数日暮らしてみると、驚くほど食が細くなっていることに気付く。そのくせ、食べ物に関する話題が多く、意見が合わなければ涙ぐんで息子と口喧嘩するほどに、驚くほど【食】への執着を見せる。思うに【飲食欲】というものが若者のそれと決定的に違うのは、その【量の多寡】が欲望と直結しているわけではなく、【飲食欲】すなわち【暴飲暴食】したいという訳ではないのである。
このところ義父は【飲食欲】が盛んである。
燕下食に切り替えつつあるので、おかゆなどの軟食が多いのだが、若夫婦の食生活に興味があり、二人の酒のつまみにも盛んに手を伸ばす。総入れ歯で歯が立たないと知ると、
「こんなもん食っとって腹を壊さんか」
などと言って笑わせる。
デイサービスやショートステイで出された食事に関する【辛口批評】は、舌鋒鋭く評論家顔負けだったりするのだ。
『夫と妻の別居介護』(中央法規)を書かれた松井幸江さんからお便りをいただき、松井さんのお母様と義父は誕生日が同じだと教えていただいた。義父の誕生日について書いた日日抄に背中を押され、ケーキを持ってお母様を訪ねたら、自分の分を食べた後、おずおずとフォークを伸ばして、幸江さんの分も食べてしまったという。その姿を伝えるメールから感じられる娘の視点は温かく優しい。
妻や娘というのは有り難いもので、義父に暴飲暴食をさせまいと貝原益軒並みの『養生訓』をもって義父の【飲食欲】を【我慢】させようとする。それはそれで、温かさも優しさも感じるのだが、僕はどちらかというと【我慢】にさほどの意味を感じず、「食べたければ食べさせれば良い」という主義になってきた。
毎朝僕が用意する義父母の朝食には、必ずバナナとヤクルトを一本添えることにしている。
「こんな美味しい物を考えた日本人はエライ」
と毎朝ヤクルトを飲みながら義父が言うのが可笑しくて、妻が
「そんなに美味しいのなら、毎朝何本くらい飲みたい?」
と聞くと、
「2本は飲みたい」
のだそうだ(笑)
僕の幼い頃の夢の一つに、ヤクルトをビールジョッキ一杯一気飲みしてみたいというのがあり、大学生になって親元を離れてまず実践してみたのだが、二度やりたいほどの快楽ではなかった。【量】ではなく【微妙な満足感】こそが【凡夫】の恋しい物なのであり、人生経験を積み【適度】を知っている老人に無理に【我慢】などさせることはないという思いが日増しに強くなる。
「これはこれで、上手い量にできとっちゃ…」
と義父が溜息混じりに漏らすヤクルト評は寸分違わず正鵠を射ている。
※写真は、今は亡き【旧清水ポートサイドマーケット】。従妹が働いており、母は大した買い物もしないのに、ここを歩くのが大好きだった。

2003年 2月 9日 日曜日
【利き眼、利き腕】
人間には利き腕があるように利き眼があるという。
眼鏡店で「利き眼を調べさせて下さいね」と言われ、どうやって調べるのかしらと思ったら、瞼に同じ重さの分銅をぶら下げて……なぁんてわけはなくて、小さな穴を両眼で覗く。その穴の少し向こうにもう一つ穴があり、二つの穴が一直線になるように見る。要するに遠くにあるトンネルの入り口と出口が同時に見えるように両眼の位置を調節するのだ。その時点で左右の眼を交互に閉じると、どちらかの眼は穴を一直線にとらえており、どちらかの眼はかなりずれているのだ。
僕は左眼が利き眼であり、カメラのファインダーも左眼で覗くのだけれど、友人に聞くとカメラは右眼で覗くという者が圧倒的に多い。僕は眼に関しては左ギッチョなのだろう。
両眼が見えることのありがたさは、物の遠近、立体感を把握できることなのだが、ある一点を注視したりする時は利き眼がその役目を主に担い、もう一方の眼は手持ちぶさたである。カメラのファインダーを覗く時などは片目を閉じていることが多い。
両眼を開けて用いるカメラのファインダーという物がある。
KONTUR(コンツール)型ファインダーといって、ドイツで考案された物らしい。僕は高校時代から KONTUR というのは人の名前、しかも眼科医の名前だと思いこんでいた。
Leica の名機 M3型のファインダーは素晴らしい出来映えで、その設計には眼科医が関わったということ、そしてKONTURがPASTEUR(パスツール)に似ていたのでそう思いこんでいた(パスツールがフランス人であることも知らなかったのだ:笑)。
この KONTUR 型ファインダー、覗くと中は暗箱で、撮影範囲のフレーム部分だけが透けていて白い枠になって見える。その枠を片眼で覗きながら、もう一方の眼を開けると景色が見え、枠と景色が重なって撮影フレーム付きのファインダーを覗いているように見えるのだ。要するに左右の眼で見ている別々の物が脳内で合成される仕組みを利用しており、その為に【生理型ファインダー】等とも呼ばれる。
実は戦後、リコーの二眼レフというのは上から覗き込む部分の開閉式フタにいくつものスリット枠が切ってあり、お父さんのカメラをいじると黒地に枠だけが見える役に立たないヘンな仕組みがついているなあと思った人が多いらしい。これこそが
KONTUR 型ファインダーであり、それを安価に二眼レフに組み込んだ日本人の工夫に世界が驚嘆したという。リコーの二眼レフは大変なベストセラーだったので、実際に
KONTUR 型ファインダーを見たことのある人は多く、使い方が奇妙なので気付かないことが多いらしい。改めて独和辞典を引くと
KONTUR は【輪郭線】の事である。
利き眼、利き腕というのは面白い。
僕は利き腕が右で、利き眼が左なので、咄嗟に物を掴む時、利き腕でない左手が出て、うっかり物を取り落とす癖が抜けないし、右眼でカメラのファインダーを覗いて右手でシャッターを押すことに、ひどく違和感を感じるのである。

2003年 2月10日 月曜日
【直訳意訳】
友人が出す音楽CDの仕事を手伝っている。
こちらの個人的な事情で進行が遅れて申し訳ないと思いつつも、いざ手をつけてみると用意された材料の細部が気になり、英文で書かれた歌詞の対訳がこなれていないと俄プロデューサーを努める友人にメールで指摘したら、【英文の歌詞にとって対訳とは何か】を改めて考える契機になるやりとりがあって面白い。
僕が中学・高校生時代、洋楽の歌詞カードに付いていた対訳はひどかった。簡単な歌詞なら対訳を見ない方がまし、原曲を陵辱しているのではないかと思える物もあり、辞書を丹念に調べると明らかな誤訳であることすらあった。
どうしてあんな対訳だったのかという話しになり、歌詞と言っても【詩】なのだから過度の【意訳】をためらって【直訳】で逃げる慣習もあったのではないか、レコード会社が制作費をケチって対訳に重きを置いていなかったのではないか、などなど。そして今回のミュージシャンは、こなれていなかった【昔の対訳】の懐かしいテイストを意識したのだという話をうかがった。
まともな対訳が付くようになったのはカーペンターズあたりからじゃないかと友人は言う。
そう、映画の字幕だって戸田奈津子が登場するのは1980年封切り『地獄の黙示録』まで待たなければならなかったのである。良心に基づく勇気ある【意訳】が一般的になったのはそう遠い昔のことでは無さそうなのだ。
仕事が忙しくてスケジュールが錯綜すると、ついついしまい込んでいたPDAが使いたくなる。
MacintoshとWindowsで併用となると、やっぱりPalmが便利なので埃を払って再セットアップする。SONYが強力にてこ入れしているせいか、久しぶりにインターネットであちらこちらのサイトを覗いてみるとPalmをめぐるSoftware開発者が活性化していてびっくりした。
パソコンメーカーがOSに付けて販売するSoftwareは、こんな機能もありますよというプログラムサンプルに過ぎず、英文の歌詞に添えられた【直訳】に近い。そして勇気ある【意訳】をする開発者がユーザーの中から現れると、そのOSは水を得た魚のように活性化していくのである。
Palmにしろ、Windows陣営のPocketPCにしろ、付属しているAddressBook一つ取ってみても機能はチープで、国産PDAのZaurusを使った者には、実用に耐えるものとは思えなかった。
Palm用にAddrexというAddress置き換えソフトを開発した人を見つけてびっくり。【直訳】に手を加えればこんな事(画像にマウスを重ねるとAddrexに切り替わります)もできてしまうのである。
歌詞の対訳もまた、詩の解釈サンプルに過ぎず、気に入らなければ自分で【意訳】すればよいのだ。
だがOS付属の基本ソフトを自力で【意訳】できない者が、Address置き換えソフトを作ってくれる優れた開発者を数年間待たなければならなかったように、英文の歌詞【意訳】でも浅学非才な者には手に余るものもある。
写真はGilbertO'Sulivan『AloneAgain』のシングルCD。
僕はこの曲が大好きなのだが、歌詞が今ひとつ訳せない。インターネットで検索しても驚くほど多様な訳があり、まったく違う解釈があって戸惑う。英文科卒の友人とメールで話したけれど、正しい訳がわからない。見事な【意訳】を誰か知らないかしら、とまたまた他人を頼りにする。

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