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2003年 1月11日 土曜日
【王】
赤い丸に「王」の一文字。
東京都北区『王子運送』のトラックを見ると何故か胸が熱くなる。
北区立王子小学校で過ごした6年間、バスでの遠足は必ず、「丸に王」のマークのバスでと決まっていた。飛鳥山に因んだ桜の枝で象られた「丸に王」の校章の帽子をかぶって、「丸に王」のマークのバスで出掛ける遠足が、専用バスで出掛ける貴人のようで、何となく誇らしかった思い出がある。
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家庭の「王」は「父親」である。
その「王」の勤め先が安定せず、幼い僕を連れて上京した両親は、「王」の勤め先が変わるたびに、川崎、大森、新宿、渋谷とアパートを転々とし、渋谷区駒場の小学校に入学する寸前、勤め先の和菓子屋が倒産し、職を求めて北区王子に引っ越し、僕は王子小学校に入学して6年間を過ごしたのである。
新しい勤め先で事務員として採用された父は、勤め始めてしばらく経つと、酒を飲んで帰るたびに、
「事務側と現場側、労働者側と会社側……」
などという愚痴が多くなり、母は、
「またそういう運動を始めるの?」
と言い争っては泣いていた。
一年ちょっとして、父が家に寄りつかなくなった頃には、おそらくその職場も居心地が悪くなって辞めてしまっていたのだと思う。
おそらく一年足らずの『王子運送』での事務員勤め。
万が一、 『王子運送』勤めを定年まで続けていられるような父だったら、40歳過ぎで若死になどせず、僕と母の人生も、全く違っていたのかもしれない。
そんな父の思い出があるわけでもないのだが、「丸に王」のマークを見るたびに、胸が締め付けられるように懐かしかったりする。

2003年 1月12日 日曜日
【インディ】
今の若者は「インディ」と言ったら、音楽の「インディーズ・レーベル」をまず思い浮かべるのだろうか。
映画,レコード・CD 製作などで、大手制作会社に所属せず独自に製作・販売を行うIndependentから生じた「Indies」を。
僕の世代で「インディ」と言ったら、インディアナポリス500マイルレース(Indianapolis 500 )を思い出す。毎年5月30日のメモリアルデーにアメリカ合衆国中部インディアナ州の州都で開催される自動車レースだ。1周2.5マイルの楕円コースを200周する過酷なレースで、1911年から開催されている。
多分、僕と同世代に静岡県清水市で育った男子は皆、「インディ500」に詳しい。
地元ローカルテレビの深夜、番組の穴埋めに古い「インディ500」の記録映像が放映されており、夢中になって見たからだ。A・J・フォイト、グラハム・ヒル、ジム・クラークなどの名前が記憶にあるから、1960年代後半のレースの模様を繰り返し見ていたのかもしれない。
仕事帰りに通りかかった東京駅八重洲口、「インディ500」を走るマシンが展示されていて思わず見入ってしまった。テレビで感じるより一回り大きい。周りで腕組みしてう〜んと唸っている「おじさん」たちが、よく見ると背広姿であるのが違うだけで、僕と同年配なのが可笑しい。
見とれているうちに、何人かが携帯電話を取り出しているので、「インディ500」マシンを見た興奮を誰かに電話で伝えるのかと思ったら、デジカメ付き携帯電話らしい。僕の年代が携帯電話を持つとデジカメとしても活用するのかなあと興味深い。そんなことを考えているうちに、負けじとデジカメを取り出して撮影している自分も輪をかけて可笑しい。自宅に戻って写した写真を見ると、右端の若い女性に笑われているのがもっと可笑しく、思わず写真のマシンに飛び乗って煉瓦舗装の「ブリック・ヤード」に走り出したいほど恥ずかしい。

2003年 1月13日 月曜日
【共棲】
人と住まいはの関係は「共棲」なのかもしれない。
8月初旬、悪夢のような真夏の夜に義父母が相次いで倒れ、義父母の住まいに泊まり込んでの看護・介護が突如として始まった。義母が無菌室での入院生活に入った後も、義父の介護が続いているので、落ち着いて自宅に戻る機会がない。
ご夫婦で三人の痴呆の親を介護され『夫と妻の別居介護』(中央法規)を書かれた松井省吾さんにお逢いしたら「まずは、やっぱりそうなるよね」と言われた。松井さんにも、戻ることの叶わない埼玉県川越市のご自宅があるのだ。
連休中久しぶりに自宅に戻ると、あの蒸し暑い夏の夜から時の流れが止まったようだ。
ああ、この部屋で暮らしていたのだなあと、遠い過去の他人事のように振り返る。秋が来て冬になり、新しい年が明けて間もなく丸半年が経つが、家具も食器も本も、そしてあの夏の夜に慌てて棚に置いた雑誌まで、時の流れの中で凍結したように存在感を失い、モノクロームのスチール写真を見るようだ。
住まいというのはその一部である「人」を失った瞬間に死ぬのだろう。
幼い頃、母との二人暮らしを訪問した来客が去った後、泣けて泣けてたまらなかった寂寥感というのは、一時的に拡張された「住まいという世界」が他人が去った瞬間に、その分だけ死ぬということが、幼心にも見えたからだと今になって解る。「人」を失った「場」というのは寂しい。
殺風景だなあと部屋を見回して、毎年壁に掛けている大型カレンダーがないのに気付く。
8月の悪夢の夜が終わり、義父母宅での暮らしが始まり、大型カレンダーは義父母宅にかけられて看護・介護の予定表に変わった。8月以降の書き込みの量は壮絶である。
ああ、そうだったと思い出し、暮れに購入してきた2003年のカレンダーをかけてみる。このカレンダーに書き込むような暮らしは当分戻ってこないけれど、モノクロームの部屋に、そこだけ色彩が戻ったようだ。
毎月毎月めくられていく無人の部屋のカレンダー。
それだけが主のいない部屋の「共棲」を代行する。

2003年 1月14日 火曜日
【橋の年齢】
ちょっと買い物がてら秋葉原へ。バスを降りて、せかせか早足で歩く。
晶文社近くの交差点を右折すると昌平橋、その先の交差点を右折すると万世橋があり、万世橋を渡った右手が交通博物館になる。中央停車場(現東京駅)を設計した辰野金吾が手掛けた中央線万世橋駅があったところで、開業は明治45(1912)年。東京のターミナル駅になる計画だったが関東大震災で焼失し、さらに東京駅の開業で不要となり、大正14(1926)年に解体され、その駅舎を利用して作られたのが交通博物館なのだ。
ああ、交通博物館で一日のんびり過ごしたい。
現在の万世橋が完成したのは昭和5(1930)年だというので、僕の母が生まれた年だ。
当時は万代橋と書いて「よろずよばし」と読んだという。郷里の静岡県清水市にも万世橋があって、親柱にはちゃんと「よろずよばし」と書かれているが、たもとの町は万世町と書いて「まんせいちょう」と読むのがおもしろい。

母と父は同い年で共に午年生まれなので、万世橋も午年ということになる。橋の干支を知るというのも面白いので(面白いか?)調べてみると、昌平橋は辰年生まれ、聖橋は巳年生まれ、お茶の水橋は未年生まれになるので、昌平橋・聖橋・万世橋・お茶の水橋の順で年子になるわけだ。神田川に架かる順番とは、ちょっと違う。
そういうどうでも良いことを考えながら、秋葉原電気街にワクワクしながら足を踏み入れていくわけだが、その手前、神田川と昌平橋をまたぐJRの鉄橋が僕は大好きで、こうして写真に収めてしげしげと眺めると、実に綺麗な構造をしているなあと感心する。
ちなみにこの鉄橋の干支はわからない。
追記:
舗道の先に見える人影は、マグロの丼物専門店の空席待の人々。本場静岡県清水市生まれなので、
「あ、この店のマグロ? うん、まあまあだね」
などと言いたくなるが、最近激増しているこの手の店の中ではかなりコストパフォーマンスが高い。行列ができるのも当然か。

2003年 1月15日 水曜日
【土俵のうちそと】
入浴するのは気持ちがよい。
気持ちがよいが、反面ひどく疲れるものでもある。
訪問入浴サービスの若者に身体を洗ってもらい髭も剃られてさっぱりした義父が、夕食時にぐったりしている。シャンプーしてもらった頭髪がホヤホヤで顔が温泉マークのようだ。就寝までもう一頑張り、活を入れなければと思ったので大相撲初場所の話しをしてみた。
「横綱貴乃花がまた休場だってね」
義父は目を輝かせて、
「まーたダラなことしとっちゃ」
と、得意の富山弁が出る。(その調子その調子)
怪我をするのもさせるのも弱い証拠であり、弱ったらそれなりの身の処し方があるはずだと意気投合。だめ押しに、
「僕も休めるものなら、明日、KとHとG出版社に休場届を出したいよ」
と、軽口を叩くと義父も大笑いで、
「わしだって休みたいちゃ」
と、笑う。
そうなのだ。全治一週間の診断書をつけて休場届が出せる物なら、義父はパーキンソン病との闘いを少しだけ休みたいに違いないし、義母だって白血病の治療から逃れたいに違いない。土俵のうちそとで、休める物なら休みたいが、それが許されないから頑張っている者が大勢いるのである。
食事を終え、ベッドに横になった義父に、
「明日は大学病院での検査だから6時起きだよ。寝坊したら相撲協会に休場届を出すからね」
と言うと、義父は入れ歯を外した口でハフハフと笑い転げる。
すっかり興醒めした国技のおかげで我が家の夜は笑いで満たされる。
※写真は僕が装丁した本『史談土俵のうちそと』武者成一著、雲母書房刊。

2003年 1月16日 木曜日
【落月月没】
仕事が忙しいので今日も早朝起床。
仕事場に来て窓に目をやると今まさに赤い月が沈む。
【落日】という言葉があるから【落月】という言葉もあるのかしらと、googleで検索すると膨大な量の中文サイトがヒットする。日本語サイトは僅かなので【落月】は中国人に好まれる表現なのかもしれない。
広辞苑第五版には「【落月】西に没しようとする月」とある。
1月16日、今朝の落月は午前4時43分、方向は北北西。ほぼ満月に近かった。
「赤い月は不吉の前兆」などと言われるが、地平線近くに来た月が放つ光が通過する大気層の厚さが増す事により青色の波長が拡散され、結果として赤く見えるだけなので【不吉】であるとする根拠はない。むしろ緑色に見えたりする場合こそ、大気中に火山噴火などによる混入物がある事例が多いので、【不吉】といえるのかもしれない。
【日没】という言葉があるから【月没】とも言うのかしらとgoogleで検索すると、今度は日本語のサイトが膨大にヒットし、月の観測者は【月没】という言葉を用いるようだ。中文サイトが少ないので特に日本人が好む表現なのかとも思うが、不思議なことに広辞苑第五版に【月没】の記載はない。
それにしても【月没】が出てくる日本語サイトのなんと多いことだろうと順に見ていくと、月の観測サイト以降は寂寂寞寞たる物故者名の砂漠だった。
こちらは確かに【不吉】である。

2003年 1月17日 金曜日
【朝の笑い】
義父は寝起きが悪い。
低血圧だし、パーキンソン病のせいかもしれないし、または就寝前に服用している薬のせいなのかもしれない。
朝食時にはまだ瞼が垂れ下がっていて、娘に、
「お父さん、眠っちゃ駄目!ちゃんと目を開けて食べてね」
などと言われ、
「起きとっちゃ」
などと受け答えしているが、盛大に食べ物をこぼしながらの朝食である。
そんな義父が今朝は珍しく眼鏡をかけて食卓に向かう。
眼鏡をかけているだけで、ちょっとだけシャキッとして見えるので良いアイデアだと思う。いっそのこと、アイデアショップで売られている居眠り用の【パッチリ見開いた眼の写真シール】をプレゼントして眼鏡に貼っておけば、娘に叱られることもないのに、などと想像して可笑しい。
「ごちそうさま、行ってきます」
と言って食卓を立つと、いつもなら義父は、
「行ってらっしゃい」
と見送ってくれるのだが、今朝は僕の背中に向かって、もごもごと叫んでいる。
僕の方を指さして、
「雅彦さん、お尻に何か付いとっちゃ!」
と言う。
眼鏡をかけて食卓に向かったので世界がよく見えるらしい。
義父も僕も食べ物を良くこぼす方なので、お尻にこぼした御飯粒の固まりでも付いているのかしらと確かめてみる。
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確認して大笑い。
尻ポケット脇に付いている【Levi's】のオレンジ色織りネームが、義父には異物に見えたのだ。
そうだ、お父さんが正しい!
お金を払って買った衣類に、どうしてメーカーの看板など付けておかなければならないのだろう。
脱ぎ着のしやすい老人向け衣料を着ている義父のお尻には、こんな奇妙なものなど付いていないのである。
老人が産み出す笑いというのは、世界を骨抜きにするようで奇妙に可笑しい。
脱力感の中に、奥深い可笑し味があるのだ。
老人と暮らす楽しみの一つは、世界を指一本で揺り動かすような、笑いがあることかもしれない。

2003年 1月18日 土曜日
【生まれ変わる】
祖母は無益な殺生をひどく嫌う人で、幼い頃はよく叱られた。
そんな祖母が一切殺生をしなかったかというと、そんなことはなくて、自分が耕している自家消費用の小さな畑に害を及ぼす生き物に対しては容赦なかった。農薬など使わない野菜作りなので丹念に見回り、害虫が付いていると手で摘んで地面に落とし足で踏んでは退治していた。モグラや野ネズミを鍬で掘り出すこともあり、そんなとき祖母も容赦なかったが、畑仕事をする祖母にまとわりつく愛猫「ミー」もまた容赦なく、祖母は鍬でモグラの首をちょん切るし、「ミー」は子ネズミを生きたまま次々に丸飲みするなどという、凄惨な場面に出くわすことも多かった。
昆虫から小動物まで、家族に食べさせるための野菜畑を守るためには残虐になる祖母の仕事を、僕も手伝うことが多く、そんなとき祖母は、
「人に嫌われることをする生き物に生まれてきたのが悪い、今度生まれ変わるときは人間に生まれて来いよ」
と、呪文のようにつぶやいていた。孫に対する、殺生の言い訳だったのかもしれない。
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人が作った物というのは人の手によって容易に何度でも生まれ変わる。
東海道新幹線も品川駅をサブターミナルとする大幅なダイヤ改正で生まれ変わるのだという。
一方、人間の方はそうもいかず、犯罪でも犯して刑期を終え真人間への生まれ変わりを実感するか、悲惨な戦争体験などで心ならずも体験したりするくらいしか、現世の生まれ変わりを味わうことはない。
土に還った生き物たちは野菜の養分となり、食べられることで人の肉体となる。祖母が作った野菜を食べて育った従妹たちも子供を産んで、みな母親になったので、遠い日に祖母が殺生した生き物たちは無事に人間として生まれ変わったのかもしれない。
神様が作った生き物の生まれ変わりは、それ相応の手順と歳月を経なければ叶わない。

2003年 1月19日 日曜日
【一富士二鷹三茄子】
一富士二鷹三茄子。
新春の初夢に現れると縁起がよいとされる三大おめでた物で、かつて将軍職を退いて駿府に居を移す家康が、「富士山が見えて、鷹狩りができて、静岡県清水市駒越名物の茄子も食べられるし」、と駿河の地を讃えたことが由来であると、昔この日記に書いた。
実は諸説有って、富士神社の「お富士さん」、駒込病院の場所にあった「鷹匠屋敷」、名産だった「駒込茄子」にちなんで「一富士二鷹三茄子」と言ったのであり、文京区本駒込こそがルーツであるなどという人もいる。
8代将軍徳川吉宗が復活した鷹匠屋敷は縄文中期の遺構【道坂遺跡】とともに、都立駒込病院の地下にそのまま保存のため埋め戻されている。
土曜日の午後、友人のはまボーズ氏が郷里から届いたご馳走のお裾分けを下さるというので、いそいそと出掛けていく途中、駒込駅にほど近い本郷通りの歩道で、なんと【鷹】を見た。ガードレールに奇妙な鳥がとまっており、一目でカラスではないとわかったので近づいて撮影しておいた。
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歩道から離れて立っていた青年が合図を送ると、さっと飛び立って青年の腕にとまる。
鷹狩り用の鷹を育てる訓練なのだろう。人と車が行き交う雑踏の中でも動じない鷹の眼光が、冬ざれた町を射すくめるようで美しい。地中の駒込鷹匠屋敷から蘇ってきたわけでも無かろうが、近所で鷹匠を目指す若者がいるのだなあと驚くとともに、人と鷹との見事なコミュニケーションにうっとりとする。
一富士二鷹三茄子、富士は末広がりの子孫繁栄、鷹は天高く舞い上がる姿に機運上昇を、茄子に毛がないことから怪我をせずに無病息災であることを願った、江戸庶民の言葉遊びだったというのが真説のような気もする。
毛がないなら、一富士二鷹三坊主でも良い訳で、鷹を見てはまボーズ氏にも新年早々ご挨拶できたので、帰宅後ベランダに出て落日に映える富士山を遠望して、めでたい新春の正夢とした。
※ズーム付きのデジカメを持っていなかったので写真は部分拡大。

2003年 1月20日 月曜日
【化けるニョロ】
「〜」と「~」は違う。
前者は「波ダッシュ」であり、後者は「Tilde(チルダ)」である。
ATOK15では「なみだっしゅ」「ちるだ」と打っても変換される。そして編集者たちはこれを「ニョロ」と呼び、おそらく形からの発想だろうがATOK15では「にょろ」と打つと「〜」と「~」が変換候補に現れる。
仕事で入力データを貰うと「波ダッシュ」が「Tilde(チルダ)」になっていて「1~100」などと入力されていることがある。おそらくパソコンの素人がキーボードの刻印を目で見て「〜(波ダッシュ)」を入力したつもりになっているのだろう。
インターネットのURLでは「~(チルダ)」を用いたアドレスが多い。左文字列のサブディレクトリにありますよという意味合いなのだろうが、僕はあまり好きではない。
ファイル名やURLに用いてはいけない文字列は「<>#%{}|\^{}`」であり、これらは予約語と言われてシステムが別の意味で使うのである。「~(チルダ)」は予約語ではないので自由に使われているのだろうが、HTML文書内でアドレスを表記しなければならない場合、それは仕様違反になると思うのだ。
「~(チルダ)」は「%7E」と書くべきでありこれを「URLエンコード」という。サーバーを借りてサイトを開設し「~(チルダ)」のつくURLを貰ってしまったユーザーがアドレスを表記する時、「~(チルダ)」を「%7E」といちいち「URLエンコード」するのは気の毒なのでUA(ユーザー・エージェント)であるブラウザやメーラーが「~(チルダ)」と書いても「%7E」と「URLエンコード」してくれるという仕組みに「一応」なっている。

ところがメールで「~(チルダ)」を含むアドレスを書いておくと「 ̄(オーバーライン)」に文字化けし、正しくURLが伝わらず、メールマガジンなどでは「URLが間違っています」などという読者からのメールが届くことになる。これはUA(ユーザー・エージェント)がメール内の文字は「JIS規格(JIS
X 0201)を使いなさい」という命令をつけ「~(チルダ)」だけは「ASCII規格を使って下さいね」という命令をつけ忘れているのである。JIS規格(JIS
X 0201)では「~(チルダ)」の部分が「 ̄(オーバーライン)」として定義されているのでこういうことが起こる。
たとえば下記のようなURLをメールで知らせるなら、
http://www.asahi-net.or.jp/~cf9b-ako/
の「~(チルダ)」を自分で(^^)「URLエンコード」して
http://www.asahi-net.or.jp/%7Ecf9b-ako/
のように表記しておけばこの問題は、取り敢えず回避できる。
※例としたURLは『Bin's
Haiku World 秋尾敏の俳句世界』。お薦めサイトである以外に他意はありません。

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