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2002年11月16日 土曜日
【老人と毛】
老人、とくに男性が歳を取ると、どうして体毛の発育が良くなるのだろう。
老いた男性と向き合って暮らしたことがなかったので、義父の顔に、もの凄い勢いで毛が生える様が新鮮である。
ひげはもちろんのこと、鼻毛、眉毛、耳毛まで面白いように生えてくる。ホルモンに関係しているのだろうか。
僕は生まれつき体毛が薄いので、ひげなどは毎日電気カミソリを当てるだけで事足りてしまう。
床屋さんなどは、月に一度行けばよいと思っている。
一方、義父は持病で利き腕が震えようとも、カミソリでひげを剃らなければ気が済まない人で、自分で剃れない毛は理容師のお世話になるしかなく、頻繁に床屋通いをしている。
国道の交差点に住んでいるので近所に床屋さんが多く、なかでもとりわけ老人に親切な店を見つけて、僕も一緒にお世話になっている。血の繋がりが無いとはいえ、親子で並んで散髪して貰うのは気持ちがよい。あまりの気持ちよさに義父はうとうとし、毎夜の介護疲れで僕もうとうとする。
赤は動脈、青は静脈、白は包帯を意味するという床屋さんの看板。
理容師は外科医のルーツであるという話しはさておいても、心地よさそうな老人を見ていると、老人のリハビリ、地域生活に欠かせない、もうひとつの療法士のようにも思えてくる。
ああ、この床屋さんが店をたたんだら困るなぁ、願わくば義父の存命中、欲を言えば僕が歳を取り、ひげ、鼻毛、眉毛、耳毛が勢いよく伸び始めても、この場所でトリコロールの看板が回り続けていて欲しいなぁ、などと考えながら、またうとうとして首の傾きを正される。

2002年11月17日 日曜日
【ステレオ印刷】
誰にでも無鉄砲なことをする時期があり、社会にもまた無鉄砲な時代がある。
大学二年生の夏、お金が欲しくて、友人と3人で銀座の雑居ビルにある小さな広告代理店を訪ね、8月の一ヶ月間だけデザイナーとして使ってくれと売り込んだことがある。社長は僕のボサボサ長髪から爪先まで一瞥し、一言、
「面白い」
と言い、
「明日から来い、ただし下駄は駄目だぞ」
と付け加えた。
穴の空いたブリーチアウト・ベルボトムジーンズに素足の下駄履きで殴り込みをかけ、それが当時の「ナウ」だったのである。
外資系スキーメーカーで販促物のコンペがあるというので、今時、紙細工なんて駄目だ、三次元ステレオ印刷でこういうビジュアル、こういうコピーで画期的なポップを作りましょうとでっち上げ、社長に提案すると、
「面白い」
と言う。
印刷会社は大きい方がいいと思い、凸版印刷に電話し、営業を呼びつけ、見積りを取る。
カンプを作ると、社長は一緒に来いと言う。
真っ赤な中古アメリカ車の助手席に乗り、首都高をぶっ飛ばし、新宿高層ビル内にあるクライアントに向かう。社長は担当者に、
「我が社の新人デザイナーです」
などと僕を紹介した。
プレゼンテーションは見事に通り、仕事は最後まで完結した。
無鉄砲な若者と、無鉄砲な社長がいた、無鉄砲な時代の思い出である。
タバコを買っておまけについてきた使い捨てライターを見たら、懐かしい三次元ステレオ印刷のシールが巻かれている。
人間の左右の眼が6センチ強離れているため生じる視差を利用して、かまぼこ状のプラスチックレンズの下にいくつかの絵柄を印刷し、画像を変えたり、動かしたり、立体的に見せたりするのだ。子どもの頃、お菓子の景品などについてきた懐かしい技術である。
現代のステレオ印刷は、複眼のような球形レンズが細かく配置され、かまぼこレンズのように見る方向が限定されないらしい。しかも薄いシールにでき、べた付け販促物に使えるほど安価になっているようなのだ。
これならもっと面白いことができるのになぁ、などと思ったりするが、無鉄砲な時期をとうに過ぎたオジサンはタバコをくわえて、カチッと火をつけるのみである。

2002年11月18日 月曜日
【いつも土砂降り】
最近の子どもは早熟で、幼児とは思えないほど利発だったりするので、長じても幼少期の思い出を鮮明に記憶しているのではないだろうか。
僕など、幼稚園に上がる以前の記憶など、靄が立ちこめたようにぼんやりとしか思い出せない。
仕事で新宿区歌舞伎町へ。
帰り道、新大久保駅に向かって裏通りを歩くと、新宿区大久保一丁目の懐かしい路地裏に迷いこんだ。
いまから45年ほど前、父は和菓子職人、母はその店の賄い婦をし、店近くの木賃アパートに親子3人で暮らしていたのだ。毎夜毎夜喧嘩が絶えず、すでにその頃両親は絶望的なほどに不仲だった。

アパート前の露地を職安通り方向に行くと道は鍵型に左に折れるのだが、曲がり角の正面に木の門があり、直進するとその先は銭湯に続く、緩やかに下る未舗装の私道になっていた。
激しい雨の降る夜、母は僕を背負って銭湯に行き、この場所で滑って横転した。
僕と干支で二回り違いだから27歳の若い母は、自分の顔は擦り剥いたが、背負った子どもに怪我をさせないよう上手に転んだらしい。
親子で道に倒れた時、母の手を離れたこうもり傘と、風呂敷に包まれた入浴道具が水溜まりに転がり、地面を打つ激しい雨音がひときわ大きく聞こえたのを、今も鮮明に覚えている。
朧気な過去の記憶の中で、その瞬間だけがナイフで靄を切り裂いたように、鮮やかな光景として思い浮かび、幼稚園入園前の記憶はいつも土砂降りなのだ。
※確かにこの場所だったという証人、大きな銀杏の木は平成2年「新宿区みどりの文化財保護樹木」に指定されているが、その数メートル先、僕が暮らしたおんぽろアパートはとうに無い。

2002年11月19日 火曜日
【『きむで』の中華そば】
人間の記憶というのは不思議だ。
視覚、聴覚、嗅覚、触覚などから得た情報で、不意に思わぬ記憶が呼び覚まされることがある。
前日の昼時、新宿区大久保の路地裏を歩いていたら、蕎麦屋の厨房から鰹だしの匂いが漂ってきて、そうだった、幼い頃暮らしたアパートのある露地への曲がり角に、蕎麦屋があったっけ、と急に思い出した。
幼い僕が覚えた店の名前は『きむで』だった。
両親は文字の読み書きを教えることに熱心で、3歳くらいで仮名といくつかの漢字の読み書きが僕はできた。ただ、このお蕎麦屋さんの流暢な筆文字で書かれた看板が読めず、『きむで』としか読むことができなかったのだ。今思えば『生蕎麦』と書かれていたのだと思う。
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母は、
「あのお蕎麦屋さんの中華そばが美味しくて、あんたを連れてよく通った」
と言っていたのを思いだした。
店内に入って見渡してみても、どうしても当時の記憶がない。
母は、店内のどれかのテーブルに座り、小皿を貰って僕の分を取り分け、ズルズルすすりながら、家庭を顧みない父親の愚痴などを、幼い僕に聞かせていたのかも知れない。
中華そばを注文した母は、大好きだったこの器の中の物体を、どんな思いで見つめていたのかなぁと感慨深く眺める。
都会で途方に暮れた若い母親の心情は今も量りがたく、ただただ湯気で眼鏡が曇る。

2002年11月20日 水曜日
【はみだす】
鼻毛や腋毛がはみだして他人の目に触れるのは恥ずかしい。
だが、鼻毛、腋毛に限らず体毛というのが、元来恥ずかしいものかというとそうでもない気がする。
仕事の出先で信号待ちの間、ふと上空を見上げると、ビルのベランダから植木が盛大にはみだしているのだが、これも妙に恥ずかしく、剪定ばさみで刈り込んでやりたい衝動に駆られる。
そうなのだ。
体毛に限らず、本来隠れていて他人の目に触れないはずのものが「はみだしているということ」が恥ずかしいのである。シャツの下から脇腹の贅肉が「はみだしている」のは恥ずかしいし、パーキングメーター前に上手に縦列駐車したつもりの自動車が、曲がって枠から「はみだしている」のもまた恥ずかしい。人の集団の中から自分だけ浮いて「はみだしている」と感じるのも辛く、はみだし者も恥ずかしさという辛さを背負っているのだろう。
身体の一部から、もしくは衣類から、はたまた社会通念から、「はみだしている」からこそ体毛は恥ずかしいのであり、見えて当然の頭髪や眉毛は恥ずかしくない。
それにしても腋毛のようにはみだした植木の下に矢印があり、あたかもベランダが「入口」であるかのような看板も妙に可笑しい。梯子車で消防士の衣装を身にまとい、ベランダから突入して質入れするのだろうか。
社会通念から「はみだしている」ので、それもまた、かなり恥ずかしい。

2002年11月21日 木曜日
【ガード下から見上げれば】
幼い頃、街のサンドイッチマンに憧れたことがあった。
新宿区大久保、和菓子職人だった父親の同僚に頼んで、ボール紙に隣の洋菓子店の宣伝広告を描いて貰い、一日中その店の前を往復して、ご褒美にお菓子をたくさん貰ったりした。
三歳頃のことである。
その当時に比べて、寂れてきたと思ったこの界わいが、最近ひどく元気がいい。
歩道を歩いていて耳にするのは外国人の声ばかりである。バブル経済期の地上げ・再開発を免れて存続した古色蒼然たる町並みが、彼らには頗る居心地がよいのかも知れない。
地域活性化のための都市再開発を標榜した地域を、地方に旅するごとに訪ねてみたが、「活性化」という視点で、成功した例を見ることは少ない。その反面、古びるごとに継ぎ接ぎを重ねているような街が、永遠の生命を持つ有機体のように、元気がよいのに驚く。
たった一度の人生を生きる世界は、人と街とが一体になって作り上げる「劇場」なのだと思う。
劇場性のある街は、薄汚いガード下まで晴れやかで、見るものを活気づける。

2002年11月22日 金曜日
【一瞬との再会】
デジタルカメラというのはランニングコストが安いし、撮ってすぐ画像を利用できるので便利だ。
使い出すと、昔のフィルム方式カメラを使う機会がほとんど無い。
だが、フィルム方式カメラなら写せたのに、デジタルカメラでは写りっこないからと諦めている撮影対象が多かったことに気付く。
デジタルカメラは電源スイッチを入れて撮影可能状態になるまでに時間が掛かるのだ。
ズームレンズ付きの機種など、呆れるほど起動時間が長い。
そして、ファインダーをのぞいてシャッターボタンを押し、焦点と露出が決定され、画像が記録されるまでのタイムラグが非常に大きいのである。人物の表情を的確に捉えるのは困難だし、風景撮影していても手前に道路があったりすると、シャッターを切った途端に画面を自動車が遮ったりする。
電車の窓を一瞬よぎる、気になる風景を写し止めるなど、デジタルカメラには到底できないことだと諦めていた。
onMouseOve
最近、小型で適度な画素数をもつ機種に、撮影まで、そして画像を保存し、次の撮影に移るまで1秒程度のタイムラグに収まる機種が登場してきた。
カシオ計算機の「EXILIM」やSONYの「U-10/20」などがそれで、カメラ量販店のポイントカードが貯まっていたので「U-10」と交換してみた。
撮りたい瞬間にシャッターが落ちる快適さ。これが当たり前になった時、初めてデジタルカメラもフィルム式カメラに一歩近づくのかも知れず、かつては当たり前だったことに再会して無邪気に嬉しく、最近の日日抄はこのカメラの出番が多い。

2002年11月23日 土曜日
【金の小鳥】
東大正門前へ。
今年は銀杏の葉の黄色がひときわ鮮やか。
入院中の義母を見舞うため往復を繰り返す道だから、とくにそう感じられるのかも知れない。
本郷通りの歩道から、誘われるように正門をくぐり、安田講堂まで銀杏並木を歩く。
onMouseOver
銀杏の葉はなぜ赤くならないで、黄色くなるのかしら、などととりとめもないことを考えながら歩く。
木の葉が緑色なのは、光合成を行うためにクロロフィルを含むからだ。その一方、葉を紫外線から守るためにカロチノイドという物質も含まれる。緑のクロロフィルと黄色いカロチノイドで、葉っぱは黄緑なのだとおおざっぱに考える。
北風が吹き、日差しが弱まり、秋が深まると、役目を終えたクロロフィルは壊れていき、カロチノイドが取り残される。これは紅葉する木の葉も同じなのだけれど、銀杏の場合、葉で作った糖分をすべて幹に送ってしまうため、葉の中に糖分が残っていないのである。
一方、紅葉する植物は葉に糖分を残しているため、それがアントシアニンという物質に変化して、赤くなるのである。
「金色の小さき鳥の形して 銀杏散るなり夕日の丘に」 与謝野晶子
夕日の丘って、この向丘のことだったのかなぁ、などとさらに考えながら、舞い降りる金色の小鳥を見つめて歩く。

2002年11月24日 日曜日
【六義園ライトアップ2002】
今年のライトアップは……「寒い」。

2002年11月24日 日曜日
【闇を守るということ】
『谷地田(やちだ)』という言葉がある。
『やち』『やつ』『やと』などと呼ばれる谷や沢の、最上流にある湿田のことである。
僕は、子どもの頃からそういう田んぼが大好きだった。
昭和三十年代、叔父が暮らしていた東京都世田谷区にも随分水田が残っていて、そのたんぼ道を成城などがある高台方向に歩き、小さな山襞に這い入ると、可愛らしい不定形の谷地田をいくつも見ることができた。
山に襞があるということは、そこは山が蓄えた水の通り道だったり、水が山肌から湧き出す場所だったりし、そこに水田を作れば当然、湿田になるのだ。
今でも電車で旅をすると、一瞬、山襞の谷地田が車窓をよぎることがあり、胸がキュンとなるような懐かしさを感じる。
幼い頃は「こんな場所にも猫の額ほどの田んぼを作らなければいけないのか」と、お百姓さんの暮らしぶりを気遣うことが心のほとんどを占めており、その残りで、「お百姓さんは、いつどんな時に、何回くらいこの田んぼを訪れて農作業をするのだろう」という谷地田の暗さと湿り気に対する畏怖のような気持ちもあった。目をこらさなければ分からない程度の踏み分け道しかない谷地田には、何か不思議な『闇』があるようで、ドキドキしながらワクワクしていたのだろう。
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どんな時代になっても、必要が無いのに開発するのが商売の人たちもいるし、お百姓さんの跡継ぎもいなくなるし、このままでは消えゆくだけの「谷地田を含む自然環境保護の取り組み」が各地で見られるようだ。
行政が買い上げて『保護』するとなると、買い上げたまま放置することもできず、農業体験を兼ねた公園化という道を歩むことになり、邪魔な木々は伐採し、大勢の人が入れる遊歩道を整備し、広場や休憩所を作り、といった人為的行為を加えることになる。
そしてそこに、絶望的なほどの『保護』の名を借りた環境破壊を見ることになる。
自然は人智が及ばないほどに繊細だ。
道を一本造るだけで流れ込む水質は汚濁し、木を一本切り倒すだけで生態系は乱される。公園にとって邪魔っけな雑草や下草でさえ、安易に手をつけるべきではないのである。
人一人がやっと通れるほどの道を辿ってお百姓さんが入り、冷たい湿田に膝まで浸かって、先祖代々維持してきた谷地田の『闇』が教えるものは大きい。自然と人為の「ダメージが最も少ないせめぎ合い」こそが湿田であり、湿田という調節池があるからこそ、平地の水田の安定した耕作が守られていたのだ。
かつては採れたというシジミの死骸がいっぱいの、小川が無言の抗議をしていたりする。
踏み分け道を歩き、冷たい湿田に深く浸かって、猫の額ほどの谷地田の『闇』を守る農業従事者の誘致、『帰農』促進の取り組みこそが行政に求められる環境の『保全』であり、『保護』の名を借りた公園化は単なる都市開発と変わりないことは、やがて未来が証明するはずである。

2002年11月25日 月曜日
【里の秋の「定規X」】
ソフトウェア作家、安原啓悦さんがお誕生日だったので「おめでとう」のメールを送り、最近公開された「定規X」の話しをさせていただいた。
Macintosh
の画面上に竹定規を表示するソフトなのだが、なかなか面白い。
なかなか面白いので、
「ちょっと“実用場面”で使ってみて、レポートしますね」
などとメールを書き、
「なはは、だから“実用性に関するつっこみはしないように”ってマニュアルに書きました(爆)」
と、お返事をいただいたりする。
兎にも角にも竹定規は懐かしい。
小学生時代、初めて手にした30センチの物差しは、まだ竹製だったような気がする。
いつのまにか、プラスチック製の透ける定規に変わってしまったのだが、母親は今でも裁縫用には竹製の定規を使っている。
母の裁縫用竹定規は、子ども時代にはチャンバラごっこの刀になり、咄嗟のゴキブリ叩きになり、それで背中まで掻いたりして、見つかるたびに叱られたものだ。この歳になると、さすがにそんな使い方はしないけれど、母の裁縫道具に懐かしい竹定規を見つけると、ついつい手にしてしまう。
昔の人は、木や竹でできた家財道具を買うと、何かしら墨で書き込んでいたもので、母の竹定規にも自分の名前と新調した時の日付が記されている。
「そうかぁ、昭和三十年代からこの物差しを使ってるのかぁ」
と、手に持って軽く振りながら、しみじみとした思いに浸ったりする。
コンピュータで仕事をするようになって、本当に定規というものを使わなくなった。
手作業の時代に厳選したプラスチック定規も引き出しの奥にしまわれたままになり、製図器具も同様だし、製図インクも既に瓶の底で乾ききってしまっている。
ドックから起動して、何を計るでもなく懐かしい竹定規を画面にあててみる。
自分の生き様に「母の定規」を当てるようで、甘酸っぱい感傷と共に、身の引き締まるような思いもまたある。母と子の人生の物差し、それこそが僕にとって「竹定規」をコンピユータにあててみることの「最大の実用性」なのかもしれない。
Macintosh OS X 用のこのソフト、しかもプラスチックのように透けるのである。
「定規X」のダウンロードはこちらから。

2002年11月25日 月曜日
【落ち葉の輪舞曲】
今年は木々の色づきがことのほか鮮烈であり、胸に染み入るようで、自身の境遇のなせる技かもなどと戯けたことを書いたのだけれど、多分に自己中心的な精神のなせる技に過ぎなかったのかもしれない。
テレビのニュースなどで、
「今年は非常に木々の色づきが鮮やかで……」
などと言っているので、単なる個人的な心的現象では無いようだ。

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でも、もしかして、坂道を転がり落ちるような経済の低迷に苦しむ、日本国民全体の心的現象で、外国人記者から見たら毎年毎年繰り返される秋の終焉が、今年は日本人全員、去年より鮮やかだと感じているに過ぎない……なんてことは無いかしら。
クロロフィルと、カロチノイドと、アントシアニンの化学現象に過ぎないなどと言ってみても、色づく木の葉の色合いは、どうしてこうも自己中心的な感興を人の心に喚起するのだろうか。

2002年11月26日 火曜日
【柿の発見】
義母がお気に入り、小石原焼飛鉋のコンポートに愛媛産の早生ミカンを盛りつけておいたら、義父のお見舞いにいただいたという柿が一緒に盛られていた。
何とまあ、カキノキ科の落葉高木とミカン科の常緑低木、異なった家系から出た子ども達の肌の色が似ていることかと驚く。
はて、柿やミカンの色は何が決めているんだっけと首をかしげ、そうだ「βーカロチン」だったと思い出し、あれこれ調べてみる。
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「βーカロチン」の仲間で「βークリプトキサンチン」のがん抑制効果が注目されているらしく、柿にもミカンにもこれが含まれているという。
カキの学名は Diospyros Kaki Thunberg で発見者 Carl Peter Thunberg (1743〜1822)に由来するという。「柿」が「Kaki」で世界に通用すると知って少し嬉しい。
発見といっても学術的に発見されただけで、太古の昔から日本人の祖先は柿が食べられることを知っていて、「柿は實の赤きより名を得たるにや」(和訓栞)などという粋な命名もしていたわけで、近年の「がん抑制効果」とともに、何回も様々な角度から「柿」は発見されているわけだ。
郷里清水市を散歩すると、「渋抜き柿」と称して、渋を抜いた柿が格安で売られていて、母はこれが好きでよく買って食べている。70歳を過ぎるまでガンに罹らなかったのも柿のおかげかもしれない。
若くして亡くなった叔父は投網が上手で、この季節になると渋柿をたくさん取ってきてすり下ろし、投網を浸して軒先に吊したものだった。そうすると投網の糸が強くなると言っていたが、おそらく「タンニン」の特性を利用した昔の人の発見だったのだろう。
それにひきかえ、凡人の発見は取るに足りないもので、
「それにしても柿とミカンの色は似てるなぁ」
などとしつこく何度も呟いて、家族に無視されている。

2002年11月27日 水曜日
【黄昏の国】
週末は伊豆の山小屋暮らしをしている友人からのメールによれば、今年は紅葉(黄葉)がひときわ鮮やかで、伊豆の山々も常緑樹との美しい対比を見せているらしい。
「今年は紅葉(黄葉)が眩しいなぁ」
というのは異常心理ではなさそうだが、
「今年は日が暮れるのが早いなぁ」
というのは異常心理なのかもしれない。だが、一日の過ぎ去る早さ、一年があっという間に終わることへの驚きを口にする人も多いから、
「今年は黄昏がすぐにやってくる」
などと思っても、精神の健康が損なわれつつあるわけでもないのだろう。
午後になってから仕事で外出したりすると、帰宅は黄昏時になってしまう。
貴重な人生、その一日の大半を損したようで心寂しく、駅前から誘蛾灯に誘われるように商店街へ足を向けたりする。
商店主は、なんとか自身の店頭へ客足を向けたくて黄昏時に明かりをともすのだが、心寂しくそぞろ歩く客にとっては、心に明かりをともされているようで有り難い。
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近所に豊島青果市場があるせいか、しもた屋になった店舗に俄造りの青果店が激増している。
とくに安売り店の行列は凄い。
古くからある青果店は厳しい立場にあるのだろうが、競争が生じることによる商店街の活性化を感じたりするのもまた、消費者心理だったりする。
ぶらぶらと軒並みのぞいていくと、決して安売り店が「何でも安い」わけでもなく、価格対品質比を頭に置いて眺めれば、各店ごとに掘り出し物があったりする。
義父のお土産にミカンを買おうと思ったのだが、静岡生まれはミカンの品定めに厳しく、何軒も歩いたあげく段ボールの切れ端に「愛媛早生」と親切に書かれた、小振りで腰が高く身の締まったものを見つけて嬉しくなった。嬉しいと、ついつい財布のひもがゆるんで、義父の好物のバナナと千葉産金時芋を購入してしまったりする。安売りの幻術に行列するのも、小さな気配りに購買の弾みがつくのも、消費者の心理であり、商売の活路なのだろう。
無為に過ごしたわけではない午後の手応えをぶら下げて帰途につくと、6時前なのに漆黒の闇である。
六義園染井門も開放され、誘蛾灯に誘われるように人々が吸い込まれてゆく。

2002年11月28日 木曜日
【金魚坂】
本郷通り、東大赤門前からちょっと入った菊坂裏に赤い幟がはためいて「釣り堀」ができているのに驚いた。
子どもの頃はあちこちに釣り堀があり、池や堀を利用した屋外のものばかりでなく、屋内に小さな生け簀を設えて釣らせる釣り堀もあったが、どんどん減ってしまい、まさかこんな町中に釣り堀ができるとは思わなかった。
釣り堀に併設して山荘風の建物もあり、中二階と半地下という面白い構造。昔から金魚の卸をしていたお店で、飼育用水量40トンの生け簀を改造した建物だそうだ。食事やコーヒー、カクテルもあり、店内では落語やミニコンサートも開かれるという。
店内にたくさんある鉢では金魚が泳ぎ、錦鯉の専門紙が読め、金魚も買えるし飼育方法も親切に教えてもらえるらしい。葉巻やシガーも買えるそうだから、趣味の殿堂に相応しい。
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それにしても釣り堀。
釣り好きが高じると、餌を付けずに釣り糸を垂れるだけで幸福感を味わえる境地に達する人もいるらしいが、「釣り堀」好きが高じると、景色などどうでも良く、釣り糸を垂れて魚が釣れるだけの穴があれば満足したり、究極の境地になると部屋に置いた魚のいない洗面器に釣り糸を垂れるだけで幸福感を味わえたりするのかもしれない。
この店でブロック塀を前にした釣りを楽しむには、それなりの修行がいりそうで、僕には敷居が高いのだけれど、近所に釣り堀ができたというだけで何だか浮き浮きとした幸福感を味わえるというのも、自慢ではないがそれなりの境地かもしれない。

2002年11月29日 金曜日
【首都移転】
東京都は、日本の首都機能移転に反対。
都バスに意見広告らしきものを見つけて、広告主は誰だろうと一瞬思ったが、どうやら都自身らしい。
東京都の交通事情はひどい。
都バスは赤字だそうで、バス路線や運行本数が激減している。
文京区には病院が多数あるが、バスの本数が減らされたので、忙しい暮らしの中、入院中の家族を毎日見舞うとなると、どうしてもタクシーに乗らなければならず、タクシー代が月十万円近くにもなってしまう。
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都の言い分は「地下鉄を利用しろ」なのだろうが、まったく現実的ではない。
営団地下鉄の広報誌『メトロミニッツ』2002年12月号に石原慎太郎都知事へのインタビューがある。
石原「東京のいちばんの欠点っていったらなんといっても渋滞だからね。どんどん地下鉄に乗ってもらえればいいんだけど。地下鉄はまたわからないね(笑)」(『メトロミニッツ』2002年12月号より)
「(笑)」! 笑い事ではない。
公共機関や病院などへのアクセサビリティが考慮されない都市に首都の資格はない。
“東京都の失敗”を踏まえて、生活者に優しい街作りがなされるなら、僕は首都機能移転に賛成である。

2002年11月30日 土曜日
【小次郎の朝】
厳流佐々木小次郎。
その死因に関しては、宮本武蔵と真剣で立ち合って破れたとか、木刀で立ち合って勝ったものの暗殺されたとか、諸説あるようだ。
中学時代だったと思うのだが、「ザ・フォーク・クルセダーズ」を解散した直後、きたやまおさむが『ムサシ』というシングル盤レコードを出し何故か今も物置にあるのだが、その中では、小次郎は波打ち際に倒れて死んだ振りをしていただけであり、見物の者が去ってからムサシと酒を飲みに出かけたことになっている。
二十代の頃、某乳業メーカーのパッケージデザインを担当しており、小さなブリックパックの背中にストローを背負わせる容器が登場したのだが、乳業メーカーの担当者は「佐々木小次郎」と呼んでいた。
六義園ライトアップが終了し、喧噪が去り、静かに落ち葉の舞い落ちる朝、散歩がてらコンビニエンスストアをのぞいたら、ホルスタインの模様の牛乳を見つけた。
乳牛が長刀を背負っているようで妙に可笑しい。
この小次郎は左利きである。

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