2006年01月11日 水曜日
■ロラン・バルトとラーメンの適温75度のエクリチュール

 

文学作品というのは若い頃読んでちんぷんかんぷんでも、年を取り人生経験を積んでから再読したら胸に染み入るように味わって読めた、などということがあるので本棚に余裕があれば肥やしにならない可能性がある。
 
一方、若い頃読んでちんぷんかんぷんだったインテリくさい学術的な本というのは、余程学術的鍛練を積まない限り、年を取り人生経験を積んだところで相変わらずちんぷんかんぷんであり、僕のような年齢になってもまだちんぷんかんぷんだと、永遠にちんぷんかんぷんである可能性が限りなく高い。

【写真】静岡市研屋町。亡き母の友人が一番町でひとり暮らしされているのでお見舞いに行ってみた。帰り道は裏通りを歩き、「この辺は職人が多い町だなぁ」とふと見たら松本民芸家具の『花森家具』本店前だった。母と来たことがあり「ねえKさんって花森家具のそばに住んでたんだね」と言いたい母がもういないことにまた気づく。
撮影日: 2005.12.29 1:39:27 PM
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   ***
 
学生時代に必修科目として「図学」という授業があった。

3次元空間内の図形を平面上に表す方法を研究する幾何学。ユークリッド幾何学を基本とする。フランスの数学者モンジュに始まる。(「広辞苑」より)

「図学」の授業であったが、東大の建築の先生が講師を務めるその授業の実体は「記号学」だった。

他の事物を代理し表現する記号の機能に着目し,信号・図像・指標・象徴・観念と表象といった,多様な記号が織りなす構造を手がかりとして,文化全体の分析をめざす学問。パース・ソシュール・ヤコブソンなどが有名。(「新辞林」より)

どんな授業かというと、自分の好きな地域を選んで「記号学」的に分析し、その結果を大きなボードに「図学」的に記録するのである。
 
例えばラーメン屋がいつの間にかたくさんできて“ラーメン街道”などと呼ばれている場所があったら、そこにどうしてラーメン屋が集まって共倒れもせずに共存できているのかを、地理環境、交通環境、人口統計、騒音、日照度、降雨量、飲み屋の数、電柱の本数、自販機の数、街娼の有無、散歩する犬の数、野良猫集会の時間帯、生ゴミの収集日、落とし物の平均価格、街灯がちかちかする度合い、歩きたばこをする奴の数、割り箸の品質、使用済みおしぼりの汚れ具合、人気のある漫画雑誌の統計、道に落ちている爪楊枝の本数とささくれ具合……などのありとあらゆる情報を取り出してそれらのガラクタを積み重ねて「ラーメン文化の構造」をでっち上げて見せるのである。

【写真】静岡市……なのだが住所不詳。『花森家具』から続く裏通りで見つけた『紅蘭』。ふと通り過ぎたけれど、妙に記号学的に気になってふり向いて撮した写真。しばらく分析し、これは間違いなくラーメンが美味しい店だと結論を出して入ってみた。
撮影日: 2005.12.29 1:42:11 PM
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副読本としてロラン・バルトの『零度のエクリチュール』みすず書房(1971年 ISBN 4622004658)という本を買わされたが、これがもうちんぷんかんぷんで、今取り出してみてもちんぷんかんぷんだろうし、一生ちんぷんかんぷんなまま僕は死んでゆくのだと思う。

【ロラン・バルト】フランスの記号学者、思想家。高等研究実習院(École pratique des hautes études)教授、コレージュ・ド・フランス教授。 ソシュール、サルトルの影響を受け、エクリチュールについて独自の思想的立場を築いた。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

それでも記号学の授業は面白くて、単位を貰って卒業して何十年も経った今でも、似非記号学をこねくり回しながら町歩きをするのが楽しい。
 
街角でラーメン屋の前を通りかかると記号学的に分析して、その場所に開店して存在し得た年数を想像し、店名の意味するものを想像し、店の外装への金のかけ具合から店主の経済力と店の利益率を類推し、換気扇の汚れ具合から油脂の使用量を類推し、ガラスの曇り具合から几帳面かズボラかを類推し、出入りする客の服装や容貌から所属社会階層や懐具合や性格を類推し、「うん間違いない、この店のラーメンは絶対に美味い!」と結論を下して暖簾をくぐったりする。

【写真】『紅蘭』のラーメン。これは美味しい。麺は細くて真っ直ぐで清水の日本蕎麦屋の麺に似ている。さっぱりしているようで深みのあるスープ。四つ足羽つき系の骨を叩き切ってスープをとっているのだと思う。アクすくいがかかせないはずで、奥さんがしきりにそれをやっていた。「ごちそうさま」の後に美味しかった店では「すごく美味しかったです!」と言うことにしており、瞬時に笑顔が出る店は店主自身が「(うちのは美味しい)」と思っている証拠だと思う。『紅蘭』のご主人も瞬時に怖い顔が笑顔になった。
撮影日: 2005.12.29 1:45:55 PM
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その結果、ぜんぜん予想が外れて食べたラーメンがクソ不味いこともあるが、予想通り美味しかったときの喜びは大きく、その達成感は何物にも代えられないほどで、それこそが記号学で構造あるものにさらに論理的構造をでっち上げることの意義だと思う。屁理屈とも言うが。
 
おそらく記号学を通して真理を学んだのではなく世界の喜び方を学んだのだ。
 
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』でロラン・バルトを引いたらこんな風に書いてあった。
「幼くして父を亡くし、女手一つで育てられたバルトは非常に母親思いであったという」
 
ほらね。
亡き母も僕がたかがラーメン一杯食べるのに、この店でなくてはいけない理由を記号学的で構造主義的にもっともらしく説明してやると、
「へへ〜〜ん、な〜に言ってるだか〜〜♪」
と嬉しそうに笑っていたもので、僕はそうやって母を喜ばせるのが好きだった。
 
記号学というのは言い換えれば自分を産み落としてくれた世界というものへ親孝行するための学問である。

 

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